思い、プロセスが大事

おはようございます。

22日から昨日24日までの「八千枚護摩供」添え護摩、お参り、お手伝いありがとうございました。今朝も快適な目覚めです。
どの法要でも感謝ばかりですが、本年最後の納めの護摩供であり八千枚ということでやはり格別な思いはあります。
皆さんも同じでしょうが、仕事であれ何であれ、その事に至るまでの「思い」が大事です。護摩を修したり、お経を唱えると云うことは誰でも出来ることです。
しかし一番大切なのは「そこに至るまで」です。どのような「思いで行じるか」であります。
表面的に外から見ても内面は解りません、しかし結果は現れるものです。日頃の心がけ、取り組む姿勢です。私たちの修行生活、皆さんの勉強も同じですが、誰も見ていないところで行います、この事を怠り、心がけが悪ければ、いくら言葉を弄してもやはり上手くいくはずはないのです。それくらい正直なものです。年月が経てば経つほどそれは如実に表れてきます。
人生は面白いことに、「自分が培ったことで貢献しよう」と志した人と、ただ単に人様に評価して貰おうと考えた人とでは大きな相違となります。
貢献しようと考えた人はやはり「地位と役割」をいただきます。評価だけを思っている人は、目先のことに囚われますから、学ぶことをしません、自分に必要か否かで行動するからです。
貢献しようとする人は常に自分を高めようと「人知らず努力を重ねる」のです、ですから知らず識らずのうちに「地位と役割」を得ていくのです。
同じ学問を学ぶのがこの世です、しかし同じ事を学んでも違っていくのが個々の人生です。何故違ってくるのでしょうか、それは「思い」の「違い」です。
表面からは「心の内は見えません」その事を知っている人は「学びを怠らない」のです。
同じように「見ていないからと怠る人は」やはり結果として実力とはならず、口先だけの自分をつくっていくのです。
言葉とは行動せずともその気にはさせるものです、「言葉を発する勇気より」も「行動の無いことへの恐れ、恥ずかしさを持って」日々精進することが大事な「思い」なのです。
明晩は「にんげん学」小倉講座、本年最終の講座です。是非お友達を誘いご参加下さい。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌