矜持(きょうじ)

おはようございます。

今年も今週一杯で終わります、終わりよければすべてよし、としたいですね。今夜は「にんげん学」小倉講座、沢山の人にご参加いただきたいですね、何でも結果は良かったことに越したことはありませんが、昨日も書きましたようにやはり一番は自分の取り組む姿勢でしょう。
自分の姿勢が悪いのに結果を望んだり、人任せにするというのは最も戒めなければならないことの一つです。
往々にして人は人任せにしているということが多くあるのではないでしょうか、自分勝手にやることを決め込んで何の努力もしないで結果だけを望んでいる。人は何故そのような気持ちとなるのでしょうか、それはやはり「思いの錯覚」からです。
「思っていると出来ている」という「妄想」となるのです、現実に出来てはいないのだが「考えている」、ここが問題なのです。
考えているだけで「行動がない」この事すら思いつかなくなる。
「思っている=行動している」という錯覚、結果を見れば一目瞭然なのですが、それすら考えられない、「意識の悪循環」です。
夢を追うことは良いのですが、現実から学ぼうとはしない、最悪な状態です、でも暮らしは出来ている、この事実が進化を妨げる。
こういう落とし穴に入り込まないためには「恥じらう」という事が大事です。人に恥じらうのではなく、「自分に恥じらう」という「誇り、矜持」です。今映画でヒットしている「武士の一分」ですね、古くさい言葉かも知れませんが、「筋を通す」、自分で決めたことは必ず「やり通す」ことで、人間の心構えの基本です。
今日最も少なくなってしまった「誇り・プライド」です。知事の逮捕、政府税調の責任者の恥じらいのない行動、大会社のトップの責任の転嫁等々がこれを証明しております。
少なくとも私たちはささやかなりとも「誇り高い責任ある」生活をし「筋を通し」て参りましょう。結果が思わしくなかったとしても責任を転嫁することなく、自分の為すべきことに気づかされたことに感謝し「次こそはの実践」が「誇りであること」を思って進んでまいりましょう。
誇り高くあれば清々しく晴れやかに未来に夢を持って歩めるのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。     合掌