スタートとゴール

おはようございます。

昨日は成人の日で下関の町にもきれいに着飾った若い人たちが沢山でした、若い人たちの華やかな着物姿はいいものです。希望に向かって邁進して欲しいと願っております。
私の成人は今考えれば漠然と将来を見据えていただけのようにも思います。不安は無かったものの、確固としてこれだというものはなかったように思います。
「こうありたい」という思いはありましたが、形のあるものではありませんでした。
若い人たちにも「確たるものはなくとも、こうありたい」という「気持ちを持って」目の前のことに無心になって進んで欲しいと願っております。
余り形に執われますと、焦りが出てくるからです。若さと情熱で早く早くとの思いで一喜一憂することがあるとは思いますが、一喜一憂しないで先に望みを持って進むことが大事です。
孔子が「三十にして立つ」といっておるように三十くらいまでは何事も「試している・チャレンジする」くらいに考えて進んで欲しいのです。
又昨日は午後二時から愛宕寺で年賀式を行いました。今年初めて信者の皆さんとご一緒にお経をお唱えして、終わってからお一人お一人の方と年始の挨拶を交わしお屠蘇を差し上げて一年変わらない信心の約束を交わしました。
年始恒例の挨拶はいいものです、今年もという新たな決意をお互いに交わすことで一層意を固める、大事なことです。
儀式、セレモニーはケジメとして大事です、やはりスタートラインがあってこそ「よし」という意識が入るわけでゴールを目指すことも出来ます。
また終わりがあって始まりがあり、このくり返しがあってこそ意識の「チェンジ」があり、大いなる学びと反省があるからです。今年は一層ケジメとなるようなことには積極的に参加しましょう。
どのような形にせよキチンと責任を果たす、それにはやはりスタートをハッキリしてのゴールです、若者に負けずにしっかりとした姿勢をとって進んでいきたいものです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌