決め事行う

おはようございます。

昨日は愛宕寺での今年初めての皆さんと一緒の「月例祭」、いいですねとても嬉しい一日でした。
今年も例年通りに始められた、毎日、毎週、毎月、これとても同じ事が言えますが、「決め事を行える幸せ」です。
そこから次第次第に努力が身に付き高まっていくことと新たな問題点が見えてくる、「決め事を行う」ことの大切さです。
夢と欲を混同している人にはこれが出来ないのです、現実に惑わされているからです。
何一つ身に付くことなく翻弄されていく人生、これでは虚しくなります。人生を虚しくしてはなりません。
良くこのような質問があります、自分を高めるのは良いが、時代にマッチしていかない、現実が苦しいのでは生活が難しくなるのではありませんか、という質問です。
その通りですね、全くそのように思います。自分を高めると言うことと、生活のレベルアップとは次元が違うのです。ですが、本当に自分を高めると言うことは時代とマッチし、現実に対応できるようになるのです。
昨日の努力ということに共通するのですが、人が意欲を持ったり、感じたりすることでは共通するのです。何事にも精進することの第一は「自己コントロール」決め事を行うことです。
物事の完成には「順序次第」があります、頭の中ではストレートに理解されますが、その事が完成に繋がるかといえば、行動がなければ叶わないのが道理です。
行動の第一歩が「指示に従う」ということを相談に来られた方にお話し致します。その人によって違いますが、毎日お参りに来なさい、毎週、毎月といった具合にです。この指示に従った人が必ず「完成」し「成功」する「気構えを体得」するのです。
ほとんどの人が現実的、直接的な言葉や指示、答えを得たいと考えてやってこられますが、一足飛びに現実の窮乏を救える答えはないのです。何故今日の窮乏、苦しさが生じたかと言えば、言い過ぎかも知れませんが「考えていただけで行動が無かったから」なのです、この事を自覚して欲しいと願い、心を静めるために「祈りましょう」とお話しするのです。
思いだけが先走って現実が欠落しているのです。もちろん今いま必要なこともお話ししますが、そのようなことでは根本問題は解決しないのです。
先ず「心を統一」し、「決め事」を守るということが大事であって、この事が出来るようになれば何事の事が起こっても見事に対処できる自分が完成するのです、「一事が万事」なのです。
先ず決めたことを「やり通す」ことを身につけることがポイントなのです。「決定力」がないから魅力にもならないことを知るべきです、決断力のある人は物事の道理を分かっている人でもあるのです。
道理とは「事に終始あり、物に本末あり」だからです。始めと終わり「因果」を知らなければやりようがないのです。
明日は「にんげん学」小倉講座の本年初講座です、最初がなければ終わりがないことをよくよく感じてお友達を誘ってご参加下さい、会場でお待ち致しております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌