余慶(よけい)

おはようございます。

昨日の一日は春の陽気いっぱいでした、出だし好調、用心しましょう、好事魔多しということもあります、まぁ余り悲観的にならずにですが、良いお天気でした。
昨日午前中にある学校の卒業式の講演に行って参りました、例年お呼びいただくのですが、卒業、新たな旅立ちでの記念講演、感慨深いものがあります。
人様の節目に立ち会う、この事は大変重要な意義があります、万障繰り合わせて出来る限り招かれましたら出席するようにしております。間、節目というものはとても大切なものと考えております。自分自身の節目も大切ですが、とりわけ人様の慶びに接し余慶(よけい)に与(あずか)ることは大事です。
間の悪い人、節目を外す人という方をよく見かけます、こういうものとは縁がない、縁を縁と出来ない、側にはいるのですが肝心要の時には“いない”という間の悪い人、こうあってはなりません。
では何故縁を縁と出来ないのでしょう、「可能性は外からのノックで開かれる」ということを身を以て体感、体験していないからです。何故そうなるかと言いますと、「打算が働く」からと考えられます。「損か得か」という「二元的思考」がそのような行動に走らせるのです。
「共感の喜び、共鳴する喜び」を体感していない、体験していないということでもあるのです。
間を悪くして体感できないことが縁を縁と出来ない大きなポイントの分かれ道なのです。「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」、縁というノック、そして響く、大いに響く、共鳴することが大事です。そこから気づきとなり自分の可能性の扉を開くヒントが沢山あるのです。
もちろん忙しくて出られないということはあります、「忙中閑あり」で忙しい中で時間を作ることが又「発想」となるのですから人生は面白いとも云えます。
「お相伴(しょうばん)」という語もありますが、「あなたがおられたから私が在ることが出来る」という感謝の言葉です。「余慶」も同じです、喜びを分けていただく、慶びに与(あずか)る、与えられるわけです。
新しい旅立ちに燃える人に接することが出来たことに感謝です。又チャレンジする気持ちが新に燃え立ちました。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌