ひな祭り

おはようございます。

昨日も良いお天気でした、今日はひな祭りです、私には姉が一人おります、年が近かったせいもあるのでしょうが今でも仲良くしております。私が甘えたで末っ子、上は皆兄ということもあったとは思っております。
ひな祭りのご馳走は「ちらし寿司」でした、子供時代のご馳走というのは何か特別な日でしか当たらず、いつも楽しみでした。ごちそうをいただくために数日前から「おとなしくする」、大人しくしていて親の言うことを聞かないとごちそうが少なく当たらないのです、それでおとなしくする、可愛いものです。
そんな中で何か躾けられたようにも思います。程の良い「飢え」はいいのかもしれません、貧しくして人を恨むというよりも「貧しさを憎んだ」ようです。そして何か知らず中に「がんばることを知った」ようにも思います。
昨今の青少年の問題はこの「程の良い貧しさ」が無いせいかもしれません。「貧しさを憎み共に歩む」ということが出来ない、「分かち合う喜び」を知ることが出来ない。
苦しみや悲しみを感じたときに、人を憎むのではなく、苦しみ悲しみを憎み「助け合う」、姉から少ないご馳走を分けて貰って「分かち合う喜び」を知りました。
社会の中で苦しみや悲しみを感じたとき「共にあろう」と考えられるようになったのも幼少時代の貧しさにあったようにも思います。
昨日から某会社が「心を磨く」というテーマで一泊二日の研修を行っております、素晴らしいですね。
難しいことですが、やはり「磨かなければ曇る」のが道理です、磨くにはやはり磨く「対象」が大切です、何を以て磨くか?、何を以て「心を正すか」ということです、表現を変えれば「鏡」ですね、身だしなみを調えるには鏡が必要なようにです。
これだと特定することは難しいですが、基準は必要です、私の場合は「己を忘れて他を利する」という「伝教大師のお言葉」で心を磨いております。
どなた様に対しても「無心に」ということです。理性と感情はやはり感情が勝ってしまいます、感情に左右されないで行動する、むずかしいことです。ですから感情の行き違いをせずに済むように日頃の生き様に透明感を持つように「教え」に素直にしております。
対人関係においては陰日向無く、好き嫌いをせずという具合に、また人様を見るときは欠点を見ず、長所を見るといった具合にです。
自然体でサポートが出来るよう日々御仏にお仕えしております。
明日は第一日曜日です、心華寺では「月例幸福護摩祈願祭」の日、一ヶ月に一度ご一緒に心を磨く日です、午前10時からですので共にお祈り致しましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌