選択できない中で

おはようございます。

昨日は大荒れの天気、被害に遭われました皆様にはお見舞い申し上げます。宇治は雨は降りましたがそれほどのこともなくちょうど良いくらいのお湿りでした、最近は雨や風が吹きますと心配です。
宇治におっては被害に遭われたことなどは想像もつかず、思いもよりません、大変恐い思いをされたことでしょう、お察し申し上げます。
自然の荒れるのは困りますが、人生の歩みの中で思いがけずに波乱が訪れるということはあるものです。「疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る」という語があります、これは強い風に当たって強い草を知るという語で、人間も何か困難にあってその真価が現れるということです。
叡山での小僧時代、何か嫌な仕事がありますと兄弟子達は弟弟子にその仕事を回してきます。回ってくる代表が私でした、師匠や、兄弟子の命は絶対です。
皆さんもお仕事をしている中で、避けたいのに避けられないという立場に置かれることが多々あると思われます。
「選択できない立場」、このような立場にあるときは必ずあります、時に「真っ正面から受け止める」という「気を養う」ことが肝要です。これは「自分を養うチャンス」でもあるからです。
選択できない立場にいるとき「果敢に挑戦する気を養いませんと」、いざ自分が何か困難に直面したときに「逃げてしまう気を養ってしまう」からです。
嫌なことを押しつけられるというのは、ある意味では責任のない立場にあるときです、時に果敢に立ち向かっていく気を養うには「この時しかない」のです。誰も進んで困難に立ち向かおうなどとはしないのです、それが自然なのです。だからこそ「チャンスなのです」。
少し大げさかも知れませんが「死中に活を求める」ということの勇気を体験するということはそうそう無いのです。
進んで火中の栗を拾う必要はありませんが、ここ一番という決断をするという事態は必ず一生の中何度かあるはずです、若いときに困難と思われることがあって命を受けたならば「何で自分が?という疑問を持たずに」積極的に挑戦してみましょう。
そこから得難い体験、経験が必ずあります。選択できない立場におって命をやりこなし現在とても良かったと私は実感しております。
先にも書きましたが、直面しないと人様の痛みや苦しさというものもピンと来ないものですが、避けがたいことに直面することで、人様を理解するという気持ちや思いやりが深くなり、人生に対しての工夫がより大きく広くもなるのです。
そして何よりも「潔さ」が少し身に付いたようです。また比叡山時代から今日まで祈ることで勇気を出していただき、困難なことに立ち向かって事を成就された皆様の満足な笑顔を見ることが一番の喜びかも知れません。
今夜は「にんげん学」大阪講座、会場でお待ち致しております、お友達とご一緒にご参加下さい。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌