お願いは誰のため

おはようございます。

今朝は小雨がおちております、昨日も曇って時折雨が降るという一日、研修はありましたが心の落ちつく日でした。庭のタケノコがにょきにょきと伸びて嬉しくなります。
研修生の皆さんありがとうございました、土、日とお休みの中真摯に取り組んで頂き感謝申し上げます、新しい週の始まりご精進下さい。
先週の金曜日に帰られました研修生の皆さん、お休み明けです、良い緊張感で研修の成果を示してください。
今日は午後から下関に向かいます、明日午前十時から愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」是非お参り下さい。26日は「にんげん学」小倉講座となっております、双方ともお誘い合わせの上お出かけをお待ち致しております。
こう見ますと「お願いすること」が沢山です、考えてみますと、お願いすることばかりで、これは考えなければなりません。
お願いとは自分の願いであって、相手様のことを考えているかどうか?です。昨日の選挙もですが、「お願いします、お願いします、がんばっておりますの連呼」を良く聞きました。立候補している皆さんはきっと私たち市民の事を考えてお願いしますを言ってくれているのだとは思うのですが?、さていかがでしょう。
気をつけなければならないと思っております、この「お願いの中身、気持ち、感情を」です。真底、真心から相手様のことを考えて「お願いしているかどうか」、少なくとも私たちは何かお願いするとしたならば「人様の事を考えて、思って」の「情」で在りたいものです。
こちらの思いで願っているのだとすれば、来てくれなかったり、思い通りにならなかったりした場合にはきっと「相手に怒りを感じる」からです。
往々にして願いは人様のことを思っているような気持ちでいながら、ならなかった場合には「これほど私は考えて、思っているのにという感情が強くなり」理性を失い「相手を恨むようで」あっては、それは「思いやり」とはならないのです。
「情とは理性にも感情にも」働くのだという、このことに「思いを寄せる」ことが大切です。
この思いは親しくなればなるほど大事です。そうでなければ人を疑い己を疑い、人様を責め、悪く思うという最悪な結果を導き、このような思いからは良い発想は生まれなくなります。
情を受けることは嬉しいものです、そして心温まります。この情を自分に向けることを強くするのではなく、四分六くらいで、相手に六分、自分に四分くらいがちょうどバランスがとれるのではないかと私は思うのです。
お湯割りの般若湯も四分六くらいが美味しく飲めるのではないでしょうか?。今週末から大型連休です、しっかりとお仕事をして連休に入る準備をしましょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌