明快

おはようございます。

太陽の光が私へ注がれる
雨は私の心も身体も清めてくれる
誰にでも光は注がれる
自然は神だ
自然は平等だ
私も光

昨日、朝のお勤め前は曇っていましたが終えてみれば晴れ、ふと前の言葉が心に浮かびました、今朝も曇っております。
出会いは本当に不思議です、自然との出会い、普段から親しくお付き合いをさせていただいている方、新しい出会いそれぞれに「気づき」を得られるからです。
私はどのような方とも「漫然と話をしない」ということを心がけております。年下の人であれ、どなたでも必ず「敬と礼」を以て当たるようにしております。卑屈にはなりませんが「低くんずる」という事を忘れません。
どこで、何で「疎遠」になるか分からないからです。人から遠ざけられることはあっても「自分からは遠ざからない」というのも「心情」としております。
自分の言葉を相手が正しく受け止めてくれるかどうかは「相手次第」だからです。これは当然のこととして皆さんも理解していることと思います。だからこそ出会いに於いての「言葉、行動、態度を大切に」するのです。
この「明快」なことを大事にすることがとても大切です。日常的にお付き合いをしている人であればあるほど「敬」という事が大事でしょう。
ところが多くの人は親しくなればなるほど「付き合いがぞんざい」になり「無礼」になる人を多く見受けます、結果「縁切れ」となる、当人は「気づかない」、疎遠になっても「何で?」と疑問を持ち、相手を疑う、「あれほど親しくしてやったのに」と。
「言葉の意を解す」ということは「相手の言葉を解す」ことであって、自分で理解することではないのです。
このような最悪な結末を無くすためにはやはり「よく観察する」ということが大事です。言葉上だけではなく、言ったことを行っているか否か、もちろん相手ばかりではなくこれは自分に対して最も言えることです。
言葉や行動、意味や中身は人様は理解できなくとも、「態度は明快」でありますから「気をつけるべき」でしょう。
「敬」は低くんずるということですので、物の道理は「高きより低きに落ちてくる」ものです。「志は高く、姿勢は低く」ということも私の心情の一つでもあるのです。そのようにして多くのチャンスが与えられたことを実感しております。
チャンスを与えられるために低くんずるのではなく「人として」あるべき姿勢だと私は考えるのです。
それは縁によって「新たな可能性を開かれる」事を知ったからです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌