知るを知り、知らずを知らずとなす

おはようございます。

昨日は一日中強い雨でした、そんな中で宇治に急用ができたため今朝は心華寺です、お昼から再び小倉に向かいます。毎月心華寺を会場として行われるM&Uスクールの皆さんに少し話をさせていただいてから出ようと思っております。
今夜は「にんげん学」小倉講座、土曜日でもあり声を掛け合ってご参加下さい。昨今の殺伐とした世相を学びの中から「安心の灯火を大きくし」て困ったときには互いに相談のし合える共生の社会をつくりましょう。
助け合うという互助の心はとても大切です。具体的に現実的に助けることは叶わずとも切羽詰まった事態、状況を作り出すということに至らないためにも必要なことです。
人は無理をして、道理にない見栄を張り、自暴自棄になることが一番よくありません。「上を見ればきりがなく、下を見てもきりがなし」という語があります。
人は何におびえ、何を怖がるのでしょう、やはり「自分の心でしょう」、自分の心に正直に素直になれば何も恐れることが無くなるのです。
出来ないことを出来ると言い、恐れていることを恐れていないという、自分自身に正直であればどれほど「豊かに」生きられることでしょう。出来ないことを恥と考え、知らないことを恥と考える、確かに恥ずかしいことではありますが、知らないこと、出来ないことが恥ずかしいのではなく、それをそのままにしておくことが恥ずかしいのだということに気づくことです。
昨日も書きましたが幼少年時代に己の不出来を私自身どれほど恨んだことでしょう、どれほど憎んだことでしょう、人を責め、親を責めても一向に改善されないことを又恨む。
そして怯え、怖がる、そのままの自分を自分自身でさえ認めることが出来ない、だから又ウソをつく、己を騙し一層深みにはまる、堂々巡り。
人の存在を疎ましく思い、優しい愛情を注いでくれる親にさえ毒づく、そして人を嫌う、人から認めて貰いたいのに嫌う、素直になりたいのに素直になれない。
しかしある時自分を私を認めました、自分で自分を全て認め考えました。自分の人生を築こうと、それから人と比べることなく。
論語・為政篇に「子曰く、之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。」とあります。
この孔子の語はとても簡単明瞭な語です、しかし自分で自分を認めることはとても難しいことではあります、しかし自分で自分を認めることがなければ「知ること」はなおさら難しいのです。
私は「知る」ことを知り、人と比べることなく自分の人生をコツコツとこれまでに信じて歩んできたことに喜びを感じております、幼少の頃暗い時を過ごしてきたからこそ今日があり、親の愛情や周囲の人々の愛情があったからだと感謝しております。道理を知ることこそ真実の分け隔てのない愛情世界が現実となります、今日の世相に一番大切ではないでしょうか。
小倉講座でお会いできますことを楽しみにでかけます。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌