基本のスキル

おはようございます。

今朝の下関は夜半からの雨が降り続いております、強い雨で蒸し暑さも感じます。
やはり皆さんと一緒にお経を唱えるのはいいものです、とても安心します。法要のあと有志の皆さんが後かたづけや掃除をしてくださるのが又ありがたいことです。
私自身少年期にみんなと仲良くやれなかったというコンプレックスがあったためです。
勉強は出来ない、言いたいことは言えない、何をやっても愚図、自分でさえも嫌になる、しかし素直にそれを認めない自分がいる、反抗的、だから嫌われる、素直になれない可愛くない子供だったのでしょうきっと。
みんなと一緒だと安心する、これは誰しも感じることです。でも誰とでもというのでは困ります、やはり「いい人」がいいのです。いい人と出会うにはやはり「意識」が大事です。そのためにも「良識」を持つべきでしょう。
ただ「感覚的に合う」というのでは「流される」危険性があるからです。しかしこの感覚が問題でもあるのです、知的なことは分からなくとも、感覚や雰囲気を人は感じます、肌で感じる嫌悪感が物事を避けようとするからです。
物事が出来なかったり、成績(勉強や仕事)が上がらなかったりと様々な現象から感じる気持ち、その感覚が好む世界、対人関係を求めていくこととなるのです。「類は友を呼ぶ」という意識世界です。だからこそ「意識」の重要性に目覚めなければなりません。
愚図だったことがある時から良かったと思うようになりました。愚図であったから傍観するしかなかったのです、それが目覚めてから「観察眼」となったように感じます。
人の基本的スキルは皆さんなんだと思われますか?、それは「観る力・聴く力・話す力・考える力・書く力・マナー」の六つです。これが専門的なことの土台になるのです。
これが「学ぶ」意識の原点なのです。学ぶという意識は「足りない」という自覚、「知りたい」という意欲、言ってみれば「夢」があるか否かです。欲だけで学ぶ意識のない人は「足りない足りない」の不足で一生終わることでしょう。
「にんげん学」講座はいつもこの六つがベースにあることでの基礎学です。ですからこの事を知らない人には〝物足りなさ〟を感じるかも知れません。しかし物足りなさを感じる人は人生を欲で考えているといっても過言ではないかも知れません。
何故かと言いますと「土台は永遠に土台」だからです、だからこそベース、基本なのです。
超一流といわれるアーチストは日々の練習は何から始めると思われますか皆さんは、それは「基本から」です、いきなり難しい練習などはしないのです。
自己を高める、能力を高める事に急ぐばかりに基本を忘れている、というよりも基本の重要性を理解していない、それは先に基本に挙げた「考える力の欠落」です。考えることもなく「欲に惑わされている」から基本が出来ないのです。
にんげん学初講座は「小学」の講義でした。朱子の「小学初題」を皆さんと音読しました、その冒頭書き出し、「凡そ人を教えるに洒掃(さいそう)、応対、進退の節。」とありましたが、思い出されましたか、人としての人格完成を目指すならば先ず掃除(物事が何故ここにあるのか)、そしてどのように世間に向かって行くかの応対、そして実践の場で人と対したときの進退です。
私たちは日々の生活の中「観る、聴く、話す、考える、書く、マナー」はついて回るのです。
是非明日の「にんげん学」講座へご出席下さい、パワーアップが叶いますよ、というよりも人生をじっくりと考えることが出来ることになるでしょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌