幸せの確信

おはようございます。

昨日お昼に下関・愛宕寺に入りました、出かける前ご近所のIさんに「気をつけていってらしゃい」のお電話をいただき心弾ませて出てきました。人様から受ける心配り、思いやりは何度受けても嬉しいですね、忘れないようにしなければいけません。
新幹線に乗り難聴になるのも悪いことではないな〜などと一人感じながら乗っておりました。物音が遠くに聞こえる感じがしますので、何か夢の中におるような感じがして流れる景色や物音も不思議な感じで楽しかったのです、何か昔を思いだし元気が出たような気もしております。
今朝も良いお天気です、午前10時から「月例幸福護摩祈願祭」どうぞお参り下さい、お待ち致しております。心にゆとりを自ら与える、自分で間を作る爽快感です。
日々の祈り、皆様とご一緒の祈り、祈りは嬉しく楽しいものです。護摩の炎で悪因縁を焼き尽くし、そして新しい「幸せの種を植える」楽しみです。
何故楽しいのでしょうか、それは「幸せを確信」しているからです。
皆さんは「確信」しておられますか?いかがでしょう。「不確実なのが現実」です、だからこそ「確実な意識」が大事なのです。「確信」を持っておりませんと「揺れる、迷う」からです。
陽気が良くなるとウグイスが鳴きだし、花が咲けば蝶が自然にとまり、陽気な人、優しい人、思いやりのある人は「人気が出る」のです。何の不思議もありません「道理」なのです。
確固たる信念とは「心の思い」であり、未来思考の「原点」です、現実化されていないからこそ「確信を持つ」のです。
確信のないことをいくら行っても何もならず徒労と終わるのです。日々確信を持って「事に当たっておりますか?」如何でしょう。
確信を持つからこそ「学ぶ」こともできます、学べない人は確信がないからであって、そのようなことではいつも堂々巡りで、愚痴しか出ません。
行き当たりばったりからは何も生まれません、生まれるはずもありません。又夢や希望を持たない人間に魅力も感じないのです。
未来に夢を持ち、だがそれを果たせない、しかし夢を棄てないその「生き様に」人は「魅力を感じる」のです。
皆さん共に祈りましょう、そして輝きましょう。心は表情に表れるのです。幸せは幸せが好きです。不幸は不幸と感じる人が好きなのです。思いに何事も因ってくるのです、私は毎日が幸せです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌