おろおろする

おはようございます。

今朝は昨日より明るい朝です、昨日もよいお天気でした、朝のお護摩を終え定期検診に病院へ、先日から右の耳に蝉を一匹飼っていて、季節には少し早いのではと思うのですがニイニイゼミがおり耳鳴りがしていて難聴気味なので耳鼻科にも回ってきたために半日仕事でした。
無事貴人です、何事もないことが素晴らしい、皆さんもお体はくれぐれもお大事下さい、「一病息災」などといって頑張っております。
大事にしていても開き直りではありませんが〝これは錯覚だ〟と考えて日々為すべき事は為しております。余り病を大事にしすぎますと本当に病気になりますので何事にも通じますが「こだわらない心」も大事だと思っております。
自分のことが思い通りにならないことに気づくことも大事です、何事でも「自分は大丈夫」と考えているのが人ではないでしょうか、でも実際何か問題が生じたとき「うろたえる」のがやはり人の相場です。
人は〝うろたえる〟ものなのです。鋼鉄のような心を持っているようではきっと「人の心も」わからない、〝朴念仁、人非人〟となるからです。
〝うろたえる〟時はうろたえ、〝おろおろする〟時はおろおろするのがいいのです。それが人なのです。だからこそ「教え」を通した「考え方、在り方」が大切なことに「気づく」のです。
何か一つ病を持つことで「他の器官」のありがたさを実感し、身体全体を使う喜びも知ることとなるのです。
人との関わりでもそうでしょう、何事もなく自分がやってきたような錯覚をしていたのが、突然何かの不都合で「人様のありがたさを」知るのです。今まで「支えられてきたことを初めて知る」のです。
私がそうなのです、病院に一日がかりで通い、身体に不都合を感じ、助けられている「事実、現実を思い知らされた」のです。
自分を活かすこと、人様を活かすことがどれほどしてこなかったのかを通院して知らされております。
これからお勤めをして下関に向かいます、明日午前10時から愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」です、下関、九州の皆さん是非お参り下さい、そして感謝の祈りを捧げましょう。
26日は「にんげん学」小倉講座です、こちらにも沢山のご出席をお待ち致しております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。   合掌