秀でていなくとも

おはようございます。

愛宕寺への月例幸福護摩祈願祭ご参拝ありがとうございました。皆さんと心と声を合わせ祈る幸せを感じる一時でした、毎月第一日曜日の心華寺、24日の愛宕寺での月例幸福護摩祈願祭にはお参りと決めておいてください。
もちろん「にんげん学」各講座も同じように一ヶ月の決め事としていただきますよう。
昨日書いた続きのようなものになりますが、「何かが出来なければ(人より秀でていなければという意味)」物事が出来ないと考えている人が多いのではないでしょうか、いかがですか?。
私は鍛錬をする、習練をするということの大事はわかっておりますが、殊更人より「秀でていなくとも豊かに生きることが出来る」と考えております。また実際私は人より秀でたものを持っておりません、ですから秀でようとは考えずに(周囲に惑わされずにということです)、「出来ることで歩む」ということが「確固たる人生を確立する」ものと考えております。
ほとんどの人は「何かが出来る」のです、では何故自信を持てないのかということです。それは一つには「信頼する人を持っていない」ということが考えられます。「お手本とする人を持っていない」ということでもあります。
伝教大師様は「一隅を照らす」ということで私に気づかせて下されたのです。そして日々私は出来ることで過ごしているのです。
何か事を学べば人より秀でなければという「強迫観念」が多くの人にはあるのではないでしょうか。だから出来ているにもかかわらず「出来ていないと思っている」のではと考えるのです。
私の学びは「忘れない」ためのものであり、いつも「心に保つ」ためでもあるのです。だからいつも心を平安に保ち安心して歩んでいるのです。
明日は「にんげん学」小倉講座、自分の心を安定に保つために学びましょう。是非多くの人にお声をかけてご参加下さい。会場でお会い致しましょう。率先して自分の時間を作るということから惑わされない人生を確立しては如何でしょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌