戯論(けろん)としない

おはようございます。

「にんげん学」京都講座、お盆休みの中ご出席いただきありがとうございました。残暑が厳しい毎日ですがお大事にお過ごしください、来月も元気にお会いいたしましょう。
今朝起きましたら地面が濡れており夜中に雨が降ったようです、木々も喜んでいるのではないでしょうか、もう蝉の声がしておりますので今日も暑くなるようですが気をつけてお過ごしください。
「にんげん学」を毎月各地で皆さんとご一緒に学んでいてとても嬉しく感謝いたしております。
「語・言葉」によって「内省」ができるからです、このことをとても素晴らしいことだと実感しております。
また人生を「確立」する「大きな手だて、イメージ」にもなります。「内省と希望」の両方に素晴らしい役割を持っていて人生を歩んで行くに欠かせないのが「語であり、言葉」だからです。
ですからいつも書いておりますように語や言葉を「戯論(けろん)」としてはならないのです。戯論とは「言って行わない、知って行わない」言行不一致のことをいいます。戯論としないために私たちは「学びを習慣」とするのです。習慣とは「心に保ち実践する」ことです。
学ぶことは大事ですがそれ以上に学んだことを「失ってはならない」のです。失ってしまいますと「後悔」を生むことになるからです。「後悔先に立たず」ですから知っていたのに、学んでいたのにと悔やんでも悔やみきれないのです。このような愚を犯すことの無いように「学び続ける」ことが大事ではないでしょうか。
多くの人は「知ってやめる、学んでやめる」のです、人生を確立したいと思っているにもかかわらず「戯論」が身についてしまっていることに気づくべきでしょう。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌