為すことを作る

おはようございます。

昨日お昼前に宇治に帰りました。九州は暑い日差しがありましたが京都が近づくにつれて曇っており京都駅に降り立ったとき久しぶりに暑さが和らいでいるという感じがしました。
お寺に帰りますと信者さんが暑い中を月一度の仏器(ぶっき)磨きのお手伝いに来てくださっておりました。
ありがたいことです。
皆さんがお参りいただきその感謝の思いを行動にしてくださる。お寺という「空間・場」を守ってくださるお手伝い、準備をしてくださる。
私たちの喜びは「慈悲の実践」にあります。慈悲とは「抜苦与楽(ばっくよらく)、多くの方の苦しみを抜いて楽しみを与える」ことです。
苦しみには様々な苦しみがあります。その一つに「為すことがない、することがない」苦しみがあります。お手伝いをくださる皆さんは率先してお手伝いくださいます。それは自ら「為すこと」を作ってです。
お寺のあったこと、祈る空間のあったことに対しての「感謝の行為」です。結果を得ることも楽しいことですが、永遠に「為すことのある」ことが最も楽しいことだという思いです。
社会の中にあってリーダーになったり、指導的立場になるような方に多くこのような気持ちを感じます。結果を求める以上に「場作り、為すことを作る喜び」に目覚めている人です。よくこんなことが言われます、大事なことは「仕事を作る、会社を作る」こと、それ以上に「人を作ること」が最も大事である、ということです。
準備、お手伝い、後片付けほど大変なことはありません。でもこの大変なことが大事なのです。
仕事の90%は準備段取りそして後片付けです。この事ができることで多くの人に喜びを与えていくことができ又仕事にもなっていくのです。仕事だけ、結果だけを欲しがっているようでは「さ迷う」人生とするしかないのです。
為すことがない、することがないというような寂しい人生とすることの無いよう皆さんも是非一度お手伝いに来てみてください。
慈悲の実践をして未来の扉が広く大きく広がっていくことを実感してください。しかしいつも申し上げますが続けなければ辛さだけを感じます。しかし続ければこの辛さには必ず終止符が打たれ楽しさが身につくのです。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌