矜持

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座へご参加の皆さんありがとうございました。気持ちよくこれから宇治へ帰ります。
一ヶ月にあちらこちらと行っておりますと、どこへ帰ればいいのか、ふと考えることがたびたびあります。何も旅をするから感じるのではなく、じっとしている時にも感じていた気がします。
長い人生、このようなものかもしれません、呆然とするときがある。
呆然と生きるというのも悪いことではなく、悪いとすれば「目の前に価値を見いだせない」ということかもしれません。
その時々に喜びを感じ、悲しみも感じる、それが喜びともなった。
いろいろな人とも巡り会い、長く続いている人もおれば、あっという間に去った人も、記憶にない人も、いろいろです。
そんな中でも「大事にしたい」ことはあります。「裏切らない」ということです。
裏切らないと言うことは「相手の意に添う」ということとは「少し違います」。相手の意に添うことは「至難の業」です、
「精一杯やる」ということかもしれません。「矜持(きょうじ)、自分の誇り」です。人間として、私が私であるための「矜持・ほこり」です。
結果は相手が受け止めることです。これは如何ともしがたい。
人生は「旅だ」と称する方もおります、諸行無常のこの世、時は流れ、変わっていくことは止めようがありません、流れていくのです。
流れていくからこそ良いのかもしれません、だからこそ「この時、一瞬を生きる」ことが魂の中で喜びを感じられるのでしょう。
そんな生き様をしていて「友」と出会ったようです。
友はいい
何も無くとも
明日が信じられる
自分が信じられる
時が流れるからこそ「信」が大事、人は時々に心が変わる、だからこそ「信」なのだと、だから「裏切らない」。
変わらなければいいと考えるのは「虫のいいことで」、変わっていけないのは「自分の生き様なの」だと思うのです。
人が人に従うのは「道理があってこそ」、ただ単に人に従うのは「へつらい」だと思っているのです。
今日はどんな出会いがあるか興味津々。
まずは無事に新幹線に乗ることから始めます。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌