臆病になることも

おはようございます。

今朝も少しゆっくりさせてもらいました。皆様には大変ご心配をおかけし申し訳ありません、寺にお見舞いに来ていただいたり、メール、お電話を沢山いただき、皆様の温かい心に触れて気持ちを強くしております。
お陰様で元気を取り戻しました。今日は毎月の検診日ですので、意識不明になった精密検査も一緒にしてもらうつもりです。
体と意識は違うことを改めて知りました。大丈夫だと思っていても体は正直です。無理をしているつもりではありませんが、やはり無理をしていたのでしょう、反省しています。
気をつける、臆病になることもやはり必要ですね、蛮勇はいけません。これまでの処し方は蛮勇だったのでしょう。
生命に感謝しております。無意識に感性が働いていることに感謝です。意識していたからこそ無理をしたということです。人は臆病くらいが丁度いいのかもしれません。
臆病にして準備ををする、学習する、その上で感性を大事にする。
これが人として大事なのでしょう。
人はどうしても無理をします、努力、修練とも云えます。これが人としての自然なのかも知れません。目標を持つことが出来るからこそ努力、修練、無理をする。貴いことですが、感性に従うことも大事です。
疲れたら休む、辛かったら休む、「休むことはあっても止めなければいい」のだと、改めて知らされました。
休むことなく続けた、私の慢心です。ポリシーだと勘違いを起こしていた、我欲であったこと「六十にして耳順う」ことを忘れていたのです。
六十くらいになればどのような道理にも順うことが出来る年齢であるはずなのに、我で道理を用い、体が悲鳴を上げた。授かった命であるのに我が物とした、罰です、因果応報は必ずあることを知れと御仏に再び教えられました。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌