欲得を超えて

おはようございます。

昨日宇治に帰り、ご本尊様へご挨拶の後、行、三日目、誠澄の様子を見ました、元気に打ち込んでいるという風貌。
身内褒めは人様からすれば余り感心しませんがお許しを、いい顔をしています。私も気をもらった次第です。
いずれにしても苦行、行の良さは「欲も得もなくなる」というところです。又そこまで行かなければ行にならないとも云えます。苦しさを体感しますと「ひたすら祈ることを体得する」。
何か得るために行を行ずるわけですが、そのようなことは「小さく些末なことだったと気づく」覚ることが行の行たる所以です。
行ずることで「欲得抜きで行動することの喜びを感じることが一番の益」開放感を体得するのです。
この体得をすれば目の前の損得、欲得に惑わされずに「行動する己が確立」されます。
行は誰でもが体験できるというものではありませんが、しかし人間には体験せずともそれを感じることが出来る素晴らしい「感性・情愛」があります。
12月2日の満行時に是非、行者・誠澄の姿に接してください。皆さんの素晴らしい「感性・感情」で「欲得ない、損得を超えた」世界のあることを感じ取っていただきたいと願っております。
ドラマを見て涙する、本を読んで涙する、このようなことを体験した人は多いでしょう。その体験を通じて「あのように生きよう・生きたい」と心に誓っている自分があるのではないでしょうか。
そのような情愛深い人が人生をしっかりと確立していくことが出来るチャンスに遭遇することが多いのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌