静態

おはようございます。

毎朝お勤めをします、長年やっておりますがいい気持ちです。回を重ねれば重ねるほどに心が安まりリフレッシュします。
「間を持つ、保つ」とでもいいましょうか、いきなり事を始めるのではなく、少し間を持つ、置くことは大事です。余り勢いだちますと前が見えなくなるからです。また仕事で相対する人は目の前の人が勢い込んでいると引いてしまいかねません。
静態することも大事ということです。心も体も動いていたのでは物事を正しく見られないのは道理。ですから一日の始まりに心を静めること、間をおくこと、心をフラットに保つこと静態することはとても重要なのです。
人間は感情の動物ですから、感情の高まりのままに動いてしまっては何も得られません、また相手にも理解されないでしょう。
落ち着き払っているのも困りますが、やはり一日のスタート時くらいは落ち着かせても良いでしょう。
ご相談に来られた方皆さんに必ず提言します。近い方は毎日、少し遠方の方は一週間に一度、一月に一度といった具合に、通ってお祈り下さいと、
非常時に陥っておられればおられるほど強く勧めます。そこで二通りの答えが返ってきます。「はい」と答えられる方と、「時間がとれない」というこの両者です。
後の答えをされる方はすでに「余裕がない、間を失っている」のです、忙しいという理由です。「忙字」は、「心を亡くす」と書きます。外の世界に「心を奪われ」て「自分を見失ってしまっている状態」です。
相談に来ていて相談できない状態に気づけない、気づかないのです。
今正に「冬枯れの季節」。田畑を見回せば取り入れも終わり、畑は眠っている状態。しかし眠っているのではありません、休んでいるのです、「静態している」。「養気」気を養っているのです。
「気は常に発しています」自然はその事をよく知っています、だから季節があるのです。旺盛な気を発した後には「休む」のです。
ところが人間は欲がありますから、いつも、いつでもといった具合に、気を発し続け「疲弊してしまう」。
充電することもなく、いくら気を発しようとしても気はどんどんと弱くなり、そして周囲も見えなくなり、自分にこだわるようになり、「気もそぞろ」となって人の言葉も耳に入らなくなってしまうのです。「心が亡びる」とは言い得て妙なものであります。
一日の中にも「季節はあります」、
夜は「感謝の思いで休み」朝は「希望を持って起きる」昼は「夢を目指して過ごす」、この繰り返しです。
常に旺盛なことを願わず、一日の始まりは静態し、しっかりと間を持ち、間を保つことでスタートすれば自然繁栄の道を日々開墾できるのです。
得ることばかりで自分の心に何の養うこともせずでは、あなたという素晴らしい人間に花も咲かず、実もならないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。        合掌