力を尽くす

おはようございます。

今朝は下関、愛宕寺での目覚め、昨日午後3時に笑顔の研修生を見送りそれから下関に入りました。
24日の今日は愛宕寺の「月例幸福護摩祈願祭」午前10時からです、是非お参りください、ご一緒に祈りましょう。
祈りは日課ですが、ご一緒の祈りはここ愛宕寺と心華寺での決まった日です。日常の祈りとはやはり意識が違い、ありがたさも一入(ひとしお)です。
私たちの日課はほぼ同じ事の繰り返し、同じ事の繰り返しの中にこそ変化があります。だからこそ同じ事に「意識をする」ことが大事です。
惰性としない、同じ事だからこそ「力を尽くすこと」が肝要です。
「力を尽くす話し」。
人様を見ておりますと同じ事を繰り返しながらも進化発展して行かれる方と、退化衰退していく方の二通りがあるようです。なぜでしょうか?。
見ていますとやはり一番は「感謝」です。進化して行かれる方の共通しているのは「力が尽くせる事がある事への感謝の意が強い」、退化して行かれる方は「感謝が少ない」。
進化していく方は利益を得て「感謝が先ずある」のです。退化していく方は利益を得ていながら「多少、大小に心が引っかかって感謝が無い」。
要するに「力を尽くす喜びを喜びとする」ことなのです。自分の能力、技術が「目の前のことで発揮できる、力を尽くせる事への感謝です」。
感謝とはとても簡単で単純な「意識です」。この「簡単、単純の純粋さ」が人様の「好感となる」のです。
以前も書きましたが、「物は物自体で物喜びをしません」、「人が物喜びをする」のです。「物が物を言うとでも言いましょうか」、力を尽くすことに喜びを感じている人の仕事、製品や品物を提供するときの表情に、見る人は「疑いを感じない」のです。
力を尽くすことに喜びがありますから、仕事や品物の「向こう側の人にも(お客様)」感謝が「自然湧いてくる」のです。
一つの仕事から「広い世界、大きな世界を見ている」事となるのです。そこからは自然「発展がある」のです。
目の前のことに力を尽くすことによって「目に見えていない人のお役に立っているという自負心も湧く」のです。
力を尽くすことの「功徳はそればかりではなりません」、「工夫、改造、進化をさえ生み出す」のです。
それは日々繰り返される仕事を漫然としていない結果です。
仕事という正しいことを行っていながら、進化と退化と両極に別れる不思議、正しいことをやっていながら感謝がなければ退化しかない、正しいことをやっていながらマンネリ化すれば退化しかないことを知りましょう。
正しいことをやって繁栄しない道理はないのです。
正しいと思ってやっていながら繁栄しないとすれば「我利のあることを思うべきです」。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌