察する心を養う

おはようございます。

愛宕寺の「盆施餓鬼法要」ご参拝ありがとうございました。雨模様の蒸し暑い中ご先祖様もお喜びだったことでしょう。
「率先して尽くせば自然繁栄する話し」。
ご先祖様は子孫にこうしてほしいと「注文はしません」、注文はしませんから何もしなくとも文句も不平もありません、だからといって何もしないようであっては「察するという気を養うことができなく」なるのです。
古からご先祖様を大切にする人は繁栄するよと言われてきた由縁がここにあります。
言われないからしない、言われたからする、というようなことでは注文されても「察することができていませんから」、期待通りには行かず結果は「失敗が待っているだけ」なのです。
「どうしたら喜んでくださるか」、「どうすれば安心してくださるか」と普段からご先祖様へのお供えやお祀りを考え試行錯誤して実行することで「察する気性が養われる」こととなるのです。
その行為には「お返し、見返りがありません」から一層大事なのです。
計らいから行う行為には作為的な匂いはするもので、打算では続けられないのです、続けてこそ「誠意」であって、続けられないのは「誠意」ではないのです。
その誠意を形成していくのもお返しのない、見返りのない「先祖供養」なのです。
率先してやるからこそ「次はどうしようか、ああもしようかとの工夫」にもなっていくのです。
祥月命日は年に一度ですが、月命日は毎月やって来て季節も変わります。又春秋のお彼岸もありますしお盆もあります、そこで今月は今度は何を差し上げようか、何か珍しい物はないか、この月にご先祖様が喜んで食べた物はどのようなものであったろうか等々の考え方にもなっていくのです。
この思考、気持ちを察することが仕事に人生に生かされていくのは当然といえば当然なのです。
「察する心」は先ず先祖供養から養われることを知ってください、又繁栄とは「安定」でもあるのです、安定安心が人生を豊かにしますし、仕えることほど楽しいことはないのです。今夜は「にんげん学」大阪講座、ご一緒に心を学びましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌