限界を知って

おはようございます。

心華寺での「月例幸福祈願祭・盆施餓鬼法要」猛暑の中ご参拝ありがとうございました。法要前のお話しでもう衣まで汗でびっしょりになるくらいの暑さの中、二時間のお勤め感謝いたします。
「少年・少女・親子塾」へ参加の子供達も一緒にお勤めご参拝の皆さんがびっくりするほどの行儀の良さに感心も一入。
子供達の昼食は最終日恒例の流しそうめん、一昨日の晩のバーベキューも楽しそうでしたが、滋賀県のSさんが子供達のために苦心して作ってくれた青竹製のそうめん流し、参拝された皆さんも驚くほどの出来栄え、子供達は大変な喜びようでした。
Sさん来年もよろしくお願いいたします、頼りにしております。
子供達は午後3時に元気に帰って行きました、子供は最高の批評家です、利害もなく無心、毎年子供達に教えられることばかり、教育の大事はやはりお手本になるべき大人にあることを改めて知らされました、しっかりと学び直そうと反省しました。
是非皆様のお子様、友人知人のお子様来年のご参加をお待ちいたしております、もちろん大人である皆さんも、大人であればあるほど学びは大切です。
「限界を知って学ぶ話し」。
人間の限界はどうすれば測り知ることが出来ると皆さんは思われますか?いかがでしょう?。
満れば欠ける、欠ければ満るの言葉が示しておる通りです、失敗や問題は皆限界を示しているのです。
「出来た」と思ったときがその人の限界。そして「仕事を任されたと思った」ときも限界。また「失いたくない」と考えたときも限界。そして「不足を感じた」ときも限界。
以上は申すまでもなく「慢心」です。私たちは「一つのこと」で人生を全うしていきます、その一つには必ず「基本」があります、この基本を生涯守って行くことがなければ必ず「失敗し」立ち直ることはできないのです。
何故かと言えば人がチャンスを与えてくださり、その人を裏切ることとなり、信頼を失ってしまうからです。
では限界を作らないためにはどうすればいいのかということになります。人生はすべからく「九十九里を半ばとせよ」という語がありますように、中途、半ばでは誰も「気は抜かない」ものです、「人生一寸先は闇」くらいに考えた方が道に沿い道に叶った歩みができるのです。
できると思った途端「法から逸脱した行動を起こすようになる」からです。せっかく苦労して道に沿って歩んできたにもかかわらず「自分で自分を貶めてしまう」ようであってはならないのです。
ですから「限界を知ることが」大事なのです。
「人の振り見て我が振り直せ」、こういう語がありますが、できた、と考える人は「人の振り見て我が振りにせよ」といった如く、良いことを「まねぶ」ことなく、悪いことを「まねて」しまうのです。それは慢心から来るものです。
これは意識の問題です、しかし意識は必ず外面化されることを私たちは知らねばなりません、意識が行動となるからです。しかしできると考えている人は自分の意識をコントロールできると勘違い、錯覚もしているのです、ですから限界なのです。
できたと考え人を侮るようにならないようにしましょう。
限界は目下の人と考えている人や、礼を尽くしてくれる人の前で非礼、無礼な態度となって表れることも知ってください。
上に立って人は力で立っているのだと考えていることも「限界」です。力だと考えている故に目下や下の人と見ると行儀が悪くなってしまうのです、これはとても恐い行為であるのです。
基本を忘れず人を侮ったりする非礼に陥らないようにしましょう、それ以上に自分を自分で貶めてはならないのです。
ご先祖様のお陰、人様のお陰だと考えこの暑いときにしっかりとお勤めをして慢心が出ないように致しましょう。
今日は愛宕寺の「施餓鬼法要」、今雨が降っておりますが昨日に劣らず蒸し暑いようです、しっかりお勤めをして感謝をします、午前10時からです、どうぞお参り下さい。
明晩は「にんげん学」大阪講座、大阪地区の皆さん会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌