覇気

おはようございます。

愛宕寺へお参りいただきごありがとうございました。皆様とご一緒のお祈りができたことに感謝いたします。
皆さんは「守りたい、失いたくない」というものをお持ちでしょうか。それはどのようなものでしょう。
地位ですか、名誉ですか、物ですか、何でありましょう。守りたいと思う物がなければ「気」は発せられず、気概もできません。
私は「誇りを守りたい」という思い、強い気持ちがあります。「志」を保ち守ることが誇りです。「自分がここにあるという誇り、思い、夢、気持ち」。この誇りがあるから日々自分の「気を発することができる」と考えています。どのような情況場面の中でも「己の志を発する」という気持ち、「困難であればあるほど強く発し保つ心」です。
「覇気の話し」。
それを「覇気」ともいいます。これは「自分の気持ちを大事にしよう」という「気」。しかしこの「気を養う」には確固たる「やり遂げようという意志が必要」となります。
人は耳障りの悪い言葉や、肌触りの悪いことには反発を感じます、反発を相手に感じさせたとしても「覇気を」感じさせなければ「説得力にもなりません」。ただの反発ですし、問題にもされないでしょう。逆に自分で仕事を辞めたり、ただ争って気まずい思いをしてしまうだけの結果となって世界を狭めてしまうのが落ちです。
それかふてくされて仕事をしない自分になるかです。このようなことをしても自分を追い込んでしまうしかないのです。
このような事態を生じさせるのは「守るものを持たないから、誇りを自覚していないから」ともいえます。守る物を持っている人は「柔軟性を持てるようにもなる」のです、何故かと言いますと「やり遂げようという覇気があるからです」。
人は人への反論も不満も持てます、言うこともできます。だからといって周囲の人がそれに賛同するかと言えば、否、です。
その場では誰しも多少の不満はありますから同調はするかも知れません、しかし共に行動を取るかといえば、そのようにはなりません。何故かと言いますと「普段からの覇気がないから」です、覇気を感じさせる人は「愚痴は言わないもの」、「行動にぶれがないもの」です。
自分の夢の実現、志の実現というメッセージを無意識のうちに発していなければ、人は決して何もない限りに於いては協力も協調もしてはくれないのです。自分がはっきりと意志を示し貫いて「黙々と歩んでこそ」理解も協調も協力も在るようになるのです。
何故かと言えば志を持っている人が世の中には多く、類は友を呼び、同志が来たるからです、それにはやはり気を発し続けなければならないのです。
社会の不安定、不安感とは何でしょうか?、「仕事の不安定です」。この社会の不安を解消するための「使命感に目覚められるか否か」が大事なのです。
この不安感を解消するために「どうあるべきか」の「夢を持って歩む」ことを「誇りとする」その「誇りを忘れない、守る」という「覇気」です。
何か障害に直面すればそれを率直に認め更に上を目指すのが「覇気です」。
覇気と「怒気」とは天地の違いがあります、覇気のない人は怒りはしますが「怒気は中折れし」継続性がありません。「覇気は向上させる」のです。覇気を持てば「実力を養う事に努める」からです。
自分だけの安定を求めているようであってはどんなに偉そうに会話をしていても覇気を発することなどはどだい無理な話なのです。
何故かと言いますと、身の安定、自分の安定は全て「気が中を向いているから」であって、「覇気を外へ発していない」からです。
内向きの会話をして年令を重ねていけばいくほど信用も、言葉に重きも誰も感じなくなり、会話にもお茶を濁されてしまうこととなるのです。
明日は「にんげん学」小倉講座、人として「どうあるべきか」の学びです。保身を考えていながら、繁栄、出世や給料のアップなどは見込めるはずもないのです。ましてや真実の安泰などは到底無理なのです。
人の心を学び真実の人生の安定を学びましょう。誇りを失わず、名誉を失わず堂々と歩むことこそが人であります。
人から存在感を持って受け止めて欲しいと念じるのであれば先ず人間性を養うことです。明日会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌