内外を見て

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございました。来月は25日、26日と修学旅行、引き続き27日が「にんげん学」講座となっています、三日間連続ですがどうぞ仕事を確かにしてご参加ください。
「半眼の大事」。
仏様のほとんどが「半眼」です。一部には目を大きく見開いている方もありますが多くは半眼。
これは内外を半分づつ観るという「思いを形にしたもの」です。内にも偏らず、外にも偏らず、皆の安心を願った姿、心でもあるのです。
座禅を行うときはこの半眼にして行います、やはり心は落ち着きます。
私たちが道を過つことで考えられることは「偏りから」ともいえます。だからこそ「にんげん学」で学んでおります、「修己治人(己を修め人を治める)の学」が必要であり、内外のバランスが大事なのです。
独り善がりではだめ、また外にばかり心を奪われてもだめ、どちらにしても本来の自分ではなくなる。
バランスが崩れますと内外の不満になる。
皆さんは人様が立身したり、活躍する姿を見て心から喜んであげることができますか、いかがでしょう。また逆に人様が失敗する姿を見ればどのような思いをするでしょうか、いかがでしょう。
このような事態にあったときの心理状態が問題です。人生を情熱的にたゆまずに歩むためには人の喜びを我が喜びとできる、人様の悲しみを我が悲しみとできる、このことができたとき人生を大きく誤ることはなくなるのです。
ナゼかといいますと「心のバランスが崩れない」からです。喜びを感じ精進する、悲しみを感じてまた精進することで、「己を養い、外への貢献、使命を失わない」からです。
いずれにしても外の世界を観て己を見失うということではよろしくないということです。外の世界を観て学び、磨くことを忘れ、自分を見失うことは愚かな行為であるのです。
御仏の姿が穏やかであるということは「物事に動じていないというのではなく」、諸行無常、生々流転、想像変化の社会の中で常に喜怒哀楽を感じながら「我がこととして考えている」安定の姿なのです。
優れた人を見て我が師となし、何か問題を抱えている人を見ても我が師となす人生といたしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌