自分の心が

おはようございます。

昨日の愛宕寺「月例幸福護摩祈願祭」雨の中ご参拝、お手伝いありがとうございました。嬉しいですね天候に左右されずに足を運んでくださる、自身のことで確かに行動できると云うことこそ幸せへの第一歩です。
来月は終い権現、22日〜24日まで「八千枚護摩供」を修行します、どうぞお参りください。
お仕事や相手があることでは行動をやめると云うことはあまりないのですが、自身のことでは天候が悪かったり、何かしら気分が乗らなかったりしますと往々にして行動を決めていたにもかかわらずやめることがあります、この萎える気持ちを乗り越える事が大事です。
「自分の心が自分を惑わす、そして悟る」。
相手がいたりお仕事となると面倒がらずにするのですが、自分のこととなると面倒になってしまうという傾向が私たちの心の中にあります。
「独を慎む」。
先ず人生は自身を養うと云うことにあります、このことが結局は人様のお役に立つ、日常の中で自分自身の時間を作ることこそ大事です。故に「早起きが大事となる」のです。
人様の要望に応えるため又それ以上に自身の人生のためにも「己を養う時間を持たなければ進化はあり得ない」のです。このことは誰しも知っていることです。人様が目の前におらずとも「天知る、地知る、吾知る」であり、最も大切な自分が見ているのです。だからこそ自身に対して慎み大切にしなければなりません。
しかし知っていながらなかなかこのことが出来ないのは何故でしょうか、それは「自分の心を外に奪われているから」で対面を考えているからです。相手のこと、人様のことを考えることは大切なことです、しかしそれ以上大事なことは「期待に応えること」です。
そのために「自身を養うことを常とすべき」なのです。
期待に応えたい、人のために生きたいと考えていながら自分を養うことが出来ないのであればそれは単なる「見栄」です。
「自分の心が自分を惑わしている」のです。
独りでいるときはしっかりと自分を養う訓練をしなければいけません、独りでいるときに茫然自失となるのは「確かな目標を持たない故」のことです。
それが「独を慎む」です。この独りでいるときこそ学び修めることがなければ人様の期待に応じることも叶わなくなるのです。
昨日書きました「言葉は正直」ということを思い出してください、言葉は容易に発することが出来ます、しかし言行一致でなければ信用を失うだけなのです。
人様と対するとき確かにする気持ちを「自分自身と対するときも同様に確かにすべき」なのです。
明日は「にんげん学」小倉講座、己を修め人を治める学、独を慎む学をご一緒しましょう。会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌