断つ

おはようございます。

今日午後2時から24日10時まで愛宕寺にて「八千枚護摩供」を厳修します。三日間で八千本の護摩木を焚きあげるということです。
皆さんが一本一本心を込めて心願を記しご本尊に祈りを託した護摩木を断食、断水にて修します。
「断つことで」。
力は「ためる」ことで何層倍の力にもなります。あれもこれもとやるのと「一つごとをやり通すことでは」自ずから結果は違うのです。
私たちは不自由を厭います、では自由であれば何事も可能となるかといえばそうはならないのが道理。
「不自由を自由とす」るのが「力と為すから」です。水の流れを貯めて一時に流せば「山をも覆すが如く」力となり、この三日間「断食、断水」することで五体の力を「魂の一点に集中させ祈る」ことで何層倍の念力となるのです。
それも八千本という膨大な数の護摩木をお焚きあげすることで「炎と一体化」するのです。「我身即本尊の火生三昧」です。
体が食を断ち、水を断つことで「鈍感」になり、「神経、魂だけが冴えわたって」くるのです。この護摩供は密教の秘法とされており、法を伝授された行者のみが許されているのです。
それは祈り、火生三昧に入るという生命を賭して祈る法だからでもあり、段階を経てこその境地でもあります。
日々時間を決めて祈ることも断つことの一つ、時間を決めずに気の向いたときに行じるというのでは何の力にもならず、逆に魔が来たり自身を損なってしまうのです。
時間を決めた朝夕の祈り、日参り、週参り、月参りに何故ご利益があるのかは前の道理の示すとおりで、法に沿うことで不自由ではあるのですが、真の力が発揮され強い念力となりご利益が得られることとなるのです。
社会生活の中では不自由と自由とを比較すれば不自由が多く、自ら不自由を作る、使命感を持つということも大事です。そのことによってさらに自分の能力に磨きもかかり、不自由を不自由とするのではなく、そのプレッシャーをエネルギーに変えることも出来るようにもなるのです。
一日中不自由な生活をするのではなく、一日の中の大切な一時間を他を断って祈り学ぶことで大いなる力を得て、心願が叶う、これ以上の幸せはないのです。
是非お参りください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌