言葉はまっすぐに出来ている

おはようございます。

今日は愛宕寺の「初・月例幸福護摩祈願祭」、初権現です。今年も毎月24日皆さんとご一緒に幸せを祈ることが出来るそのことが幸せです。
予定があるということはそれに向かって準備が出来る、修練が出来る喜びでもあり力を尽くせる喜びです。
今日も午前10時からです、お参りください。
「教え、言葉はまっすぐ」。
教えは「言葉に凝縮されています」。その教えも「自分を幸せに導くため」に「自分で選んだ道」、それを私はひたすら信じています、だから幸せです。
事が成ってからでないと幸せではないという信じ方では信じているとはいえず、そのような思いからでは第三者が観ても気力も、迫力も感じず、将来性も感じずチャンスはもたらされないのです。
一番不幸と感じるのは言葉を持って人を責めてしまうときです。教え導く時、注意したりするときが一番不幸を感じるのです。
何故かと云いますと教えにまっすぐに信じて歩んでいただけないというもどかしさと私自身の非力を感じるからです。
言葉、教えは責めることに使うものではありません。「自分自身を導き」、「人を導くもの」だからです。皆さんにもこのことをしっかりと認識してほしいのです。
原理原則、教えを守って行動し結果が思わしくなかったときでも又やり直すことが大事なのです。教えは「素晴らしい世界へ誘う光明の道」なのです。
教えは物差しでもあり、コンパスでもあり常に夢への実現を計ってくれるものです。だからこそ私は声を大きくして説くのです。
「信じましょう、沿って歩みましょう」と。教えを信じれば「心が豊かになり」安心が得られるのです。豊かで心が広がればこそ「多くの物を入れられるようになる」のです。
自分が豊かになる道を信じないような狭い心には何物も入ってこられないのが道理です。
教え言葉を知って行動をしないようであっては「己が己に仇為す」のです。自らが自らで落とし穴を掘って落ちるようになるのです。
「己を導き、人様を導いてくれる教え」、今日も皆さんとご一緒にお唱えするお経はそれほどに素晴らしいのです。だからこそ楽しく人生を夢見ることが出来るのです。そして楽しいからこそ多くの人との出会いとチャンスをこれまでにいただいたのです、これからもきっと教えの世界には大きなチャンスが待っているのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌