道を歩む喜び

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」ご参拝ありがとうございました。共に祈る方との読経が心に反響する、護摩の炎のゆらぎの神秘性、言葉に表すことの出来ない感動です。
祈る者はなんといっても「どんな現実でも受け入れることができる」ことが素晴らしいことです。
信仰の最も素晴らしい在り方です。どんな困難が来たったとしても「天が与えてくれた」試練として受け止められる、それが信仰者としての「あり方だから」です。
ですからどんどんと現実から学び、それを身につけ役立つ人間性に一層磨きがかかっていくのです。
「道を歩む喜び」。
信仰の道を守るものは一時は孤独(修業時)があるかもしれませんが、信じて歩んでおりますから現実を否定せず、そこから学び必ず道を切り開いていきます、結果多くの人のお役に少しずつ立てるようになり、「無理をせずに進化して行き、人が周囲に集まり繁栄がもたらされる」こととなるのです。
逆に目先の欲に駆られている人は目先に惑わされて権力や地位に惑わされますから、一時は栄えるかもしれませんが、栄枯盛衰の理通り、結果破滅に至ることとなるのです。
信仰に生きる者は、そのあり方が「己を忘れて他を利する」にありますから、苦の中にあってもそれを避けようとせずに、解決を図ろうとします、結局は社会貢献がなり、人様から慕われるようになるのです。
それでは良いことばかりではないか、とおっしゃりたいと思いますが、信仰者は良い、悪いという「二元的思考がありません」、どんな状況に於いても「誠意」を尽くすのです。
又逆境に見えるような場面に於いては一層誠意を尽くすのです。
先日も書きましたが人生には四季があるのです、冬の時代、冬枯れもあるのです、その時でさえ道理を信じていますから「冬来たりなば春遠からじ」の道理を信じ怠りなく為すことを為し誠意を尽くし準備を怠らないのです。
明日は「にんげん学」小倉講座、学びを信じることも同じです。学びという己に誠意を尽くすことの出来ない人間は人様に対しても誠意を尽くすことなどは出来ようもないのです。
言葉も大事ですがそれを証明する行動こそが大事なのです、行動を確かにするには学びを体得することです。
5月の最終週、しっかりと今月の締めくくりを致しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌