無心のパワー

おはようございます。

5月の最終週の始まりである昨日、無心にお仕事に対しましたか?いかがでしょう。
人は経験したり、何かを得たりしますと純粋性が失われがちとなります、このことに気をつけなければなりません。
「無心のパワー」。
経験も少なく、社会に踏み出したばかりの頃には純粋に目の前のことに対し、夢に通じると信じて歩んだはずです。どんな仕事でも「無心に結果を出すことだけを考え、そして結果を出せた」のです。
無心なればこそ「志気」が高まり、志気が自然に「旺盛」になったのです。「こうでなければ、ああでなければ」などという条件や理屈を考えずに目の前のことに「無心に対処して道を切り開いた」のです。
結果を出し褒められたり、仕事で人様と出会っているにもかかわらず、いつしか自分の力だと思い違いをして褒められることを願い、認められることを願って「無心を忘れてしまう」のです。
欲心は「行動力を削いでしまう」のです、なぜでしょう、「無心でないから」です。「失敗を恐れ、褒められることを望むから」です、そのような志気の無さからは何も生まれないのです、生まれるはずもないのです。
このような落とし穴にはまりこみますと「努力」ということを忘れ「学ぶ」ことを忘れ、「自分を見失うこととなる」のです。
この気持ちは大小に関わりなく、小は小なりに、大は大なりに「心地よい物に引かれる」のが「人の心、執着心」です。
何も得ていない人でも少しの心地よさで人生をダメにしてしまったり、大を為した人がある日突然ダメになったりというが如くです。
どんなに知識を持っていたとしても「心のメカニズム」を知らねばなりません、夢を持ちながら若くしてダメになる、又せっかく築き上げたものを無くしてしまう等々はすべてこの「無心」ということを忘れた結果、「志気」を失った結果にあるのです。
いろいろな経験、体験をするのが人生、それを一層のものとするか否かは「心次第」ということです。
言葉や字で見たり聞いたりすれば、「そんなことは分かっているよ」と皆さんおっしゃいますが、耳障りの良い言葉、肌触りの良い環境は悪魔の住処であることには気づけないものなのです。
何もなかったからこそ純粋に物事に対し、どんな褒め言葉にも心を騒がせず、うぬぼれず「志気」が高かった自分がいたのです。
それがいつしか年令を重ね、部下を持ったり、指導的立場になったりしますと、話すことや、指導することにかまけて、無心を忘れ、足下を見失ってしまうのです。
経験を積んで物事の道理を真に体得すれば一層「志気が高まる」のが道理のはずであり、志気を失ったり、行き詰まっている状況があるということは「執着心、欲という病魔に冒されている」ことを知るべきです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、無心のパワー、志気をいつまでも失わないようご一緒に学びましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌