吉凶

おはようございます。

今日は皆さんと愛宕寺でご一緒に感謝を祈る楽しい日、心と身体で味わう楽しい一日。自分の心に確かな思いをしている人はとても能動的です、ですから発展、向上し豊かな人生と為すのです。
「吉凶は糾(あざな)える縄」。
感謝とは「感謝と思えることが感謝」なのです。要するに「気づきを与えてくれたという喜び」、故に祈ることが出来、目標に能動的になれるのです。
社会を見渡しますと成功を手に入れている人は「行動派の人」です。そして徹底して「教えに忠実」です。
では何故そのようになれるのでしょうか。真実「問うから」です。真剣に「目標を達成したいと問う」からです。
なれたらいいなぁ〜とか?、なれればいいなぁ〜などという安易な気持ちで質問しないのです。
本気で問うのです。ですから「まねぶ」ことができる、行動するのです。「法、法則」は私的に都合のよいようには出来ておりません、「法則に忠実に」歩むしかないのです。歩めばだれしも手に入れられるのが「法則」です。
法は「私を持っていない」からです。ですから「まねた人が法則を法則と為すことが出来る」。いわゆる行動した人です。
しかしただ単に聞くだけの人は「まねばない」のです。教えを聞きに来たのに、都合が悪い、時間がない等々です。このような人の多くはどこかで高いハンコや壺を買わされる羽目になるのです。行動しなくとも運命が変わりますよと言うわけですから。
このような人は金儲けの似非宗教にはもってこいの人なのです。
先日も書きましたが人は感覚に左右されると言っても過言ではありません。ですから夢や志、目標がありませんと感覚的な楽しさがなければ楽しくないと無意識に思ってしまうのです。そして感覚的な物、感覚的楽に引かれてしまうのです。
感覚で聞き「気づく」のが私たちです。そこで感覚的、行動で実現するのだという気づきをしなければならないのです。
物事の完成、実現までは感覚が辛いのです。時にこの苦しみは何故に生じたかを知ることがなければ生涯同じ苦しみを味わい続けなければならないのです。
吉凶は糾える縄、何事も順番、法則です。このことを身体を通して知っていれば何の迷いもなく、教えを忠実に行動し、ただただ感謝の祈りとなるのです。
不幸で嘆いている人の多くは「行動がない」のです。
今日はご一緒にお祈りしましょう、そして能動的な人生を送りましょう。
何でと疑問を持って生きる不幸よりも、幸せを信じて歩むことのほうが何万倍も幸せなのです、またそのような行動に仕事も人も集まってくるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌