認め合う

おはようございます。

愛宕寺へお参りの皆さんありがとうございました。充実した時間をご一緒できとても幸せでした。やはり「共に在る」ことは幸せです。この思いが又一人祈るときにもよみがえることが幸せでもあります、ありがとうです。
人に認めてもらったり、認めたりすることは喜びであり嬉しいことです。何も得られなくとも「認められている、認めている、皆さんがいる」という意識、気持ちがあることほど人生を充実させるものはないのではないでしょうか。
「認める」。
信じるとはこれほど豊かな気持ちになれるのです。
気持ち一つで人生観を大きく変えることがやはり可能なのです。だからこそ「気持ちの持ち方、心の在りようを確かにすべき」なのです。
人の気持ちはうかがい知ることは難しいものです、だからこそ自身の気持ちを確かにすべきです。
「信」とはどのようなことだと思われますか、「嘘をつかない」ことです。嘘をつかないということは人様に対してもそうですが、自分に対してもであります。
信じていればこそ目の前のことに一生懸命になれるのです、不平を言って幸せにはなれません、楽しく働くべきです。
荘子に「無用の用」という考えがあります。「共に在る」ことが何で幸せなのだと考える方のほうが多いかもしれません。
有用性だけを論じているような人は自分の価値観しか認めないのです。そんなゆとりのないような、人を受け入れられないような心の狭い人は人間としてのスケールは小さくなるだけです。
いろいろな人を認め、受け入れる、一見無用で無駄な考え方かもしれませんが、多面的で広範囲の価値から物事を考えられるような思考が自然と身につき、逆に有用になるのです。
有用性だけをガツガツと追い求め世間を狭くし、将来の大成も望めないような人間だけにはなりたくないものです。
多くの人を受け入れられる器になりたいですね。世の中には素晴らしい人が沢山おられます。
明日は「にんげん学」小倉講座、会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌