志を以て誠実に

おはようございます。

思い出に浸ることはなかなかに楽しいものです、情の為せる業かもしれません。人の情に触れたり、温かい気持ちに接したりするすることも嬉しいことです。
今朝は信者さんのお宅で目覚めました。九州、遠賀の水巻、Tさんのお宅で昨夜の宿、嬉しいですね、先月「にんげん学」小倉講座のおり、泊めてもらえるといった私の願いにすぐさま「どうぞ」とためらいもなく応えてくれました。
水巻の駅までご主人に迎えに来てもらい、昨夜は奥様の手作りのごちそうと般若湯をたらふくちょうだいしました、ご面倒の上にご面倒をおかけしました。お世話になりました、感謝致します。
「巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如(し)かず」(韓非子)。
「巧詐」は、へたな考えをめぐらして表面をとりつくろうようなやり方。一見、すばらしい策のように思われるかもしれませんが、かえってまわりの反発を買ってしまいます。「拙誠」とは、つたなくても心のこもったやり方。愚直といってよいかもしれません。
人生を生きていくうえで必要なのは、「巧詐」よりも「拙誠」だというのが、この言葉の意味です。
皆さんご存知のように「韓非子」は「法家」といわれた人です。情よりも理といった感の強いのが韓非子です。
その韓非子がこのように言っていることが驚異であり、彼の法に今日も教えられることが大であることが理解できます。
「巧詐」は人の目を誤魔化し、一時を糊塗できるかもしれません、だが、ごまかしやペテンは、いずれ必ず馬脚をあらわすのです。その点、「拙誠」はじわじわと人の心をとらえるのです。
長い目で見ますと、たしかに「巧詐」よりも「拙誠」のほうがまさっているのです。
私たちは出会いによって自分の世界が広がることは間違いがありません。そのことを知っておりながら、目の前の人を大切にするかといえば大いに?ではないでしょうか。出会いの中で精一杯やらせていただこうとする気持ちよりも、巧詐的な気持ち損得で計算し出会って、事を駄目にしてしまうということはないでしょうか。
今日は「巧詐」のもてはやされる時代のような気がします。しかし人間関係の基本は、昔も今もそんなに変わってはいないのではないでしょうか、「巧詐」よりも「拙誠」を求める気持ちは現代でも強く生きているように思うのは私だけでしょうか。
自分に素直になって実力を知り、言葉で飾らずごまかさず、人様に誠意を持って対したいものです。
今夜は「にんげん学」小倉講座、会場でお待ちいたしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌