責める

おはようございます。

昨日はさわやかな風が吹き渡り気持ちのいい一日でした。昨日の風のようにさわやかな風を送れるような人間でありたいものです、難しいとは思いますが心がけるべきでしょう。
「責める時」。
菜根譚二一九条に「人を責むるには、無過(むか)を有過(ゆうか)の中(うち)に原(たず)ぬれば、則ち情は平らかなり。己を責むるにには、有過を無過の内に求むれば、則ち徳は進む。」とあります。
意は「人の過失を責める際には、過失の中でも過失でない部分を探し出して、あたたかい目で見てやると、そうすると責められた人も心は平静となって、いうことも聞いてくれる。自分自身の過失を責める時は、過失はないと思いこんでいる中に過失を探し出して、自らをかえり見るようにすると、自分の修業は向上する。」
問題があってこそ向上、修正のきっかけ、その問題を捉えてただ叱り責めるだけではせっかくの人材が失われてしまいかねません。
事が出来なかったときにこそ問題が顕わになったわけであり喜ぶべきでしょう。ただ責めても何もなりません。出来なかった理由は、出来ないからできなかったか、もしくは準備不足だったか、大別すれば二つの理由です。
出会うべき縁で出会った人材、素晴らしい人材として育つような風となり、自らを反省するような潔い人生であれば少しはさわやかな風になれるかもと菜根譚を読み思うところでした。
過てば改めることに憚ることなかれです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌