煩悩としない

おはようございます。

昨日もさわやかでした、重陽節句、皆さんにも良いことがあったことでしょう。幸せでありますように、健康でありますよう、いいことがありますようと願うことは自然なことです。
「煩悩を生むのでは」。
「好事不如無(こうじもなきにしかず)」。意は「「好事」はよいこと、喜ばしいこと。よい出来事でもそれに執着する心が起きると煩悩や妄想のもとになる、そのようであるならば無いほうがよい、と戒める言葉です。」。
願いが叶った、恋愛が成就した、宝くじが当たった、等々人生には嬉しくなることが沢山あります。そしてあった方がいいに決まっています。
しかし待てよ、というのが先の言葉です。
好事があれば「よかった、うれしかった」と、とらわれの心が起こります。そしてさらに好事が増えることを求めてしまいます。馬券が大当たりしてやめられなくなってしまうのも、そうした執着が生じるからであり、小さな喜びでは満足できなくなりやめられず身を持ち崩すなどという話はよく聞く話です。
事業も望外の利益となったりして本来の道、使命を忘れ、もうけることに血道を上げるようになって、己を見失ってしまう。
「もっと、もっと」と「心がウロウロ」し始めますと、好事が起きないとつまらなく思えるのです。
「どんなよいことでも、それに心がとらわれ、煩悩や妄想のもとになるなら、むしろないほうがよい」のです。
「苦中楽有り」という語もあります、志に燃えて目標に向かっているときこそ心が充実し、迷いもなく歩むことが真実の楽しみでもあるのです。
明晩は「にんげん学」東京講座、心を戒める論語をご一緒しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌