忙中閑有り

おはようございます。

昨日東京を出ると直ぐに雨が落ちてきて宇治についても曇り空、少し肌寒さを感じる一日でした。お天道様が出ていないとこれからはこのような肌寒さを感じる日が多くなるのでしょう。
今日寺では「水子供養法要」を行います。日々護摩祈願を終えればご先祖様、水子様の供養を行っているのですが、毎月第二日曜日には「水子供養の日」としてお勤めをします。
普段のお勤めの大事はもちろんですが、「何々の日」と決めて更に「心を込める」ことが「気を散らさないためにも」大事です。
「忙中閑有り」。
忙しいという字は「心が亡ぶ」と書きますが、どんなに忙しくとも心が亡ぶようではいけません。忙しくて心が亡ぶような人は「動かされているか、もしくは嫌々仕事をしているか、どちらか」です。
忙中閑有りとは「忙しくしていても心が騒がず閑(しず)かであり、集中できていることであり」忙しさに心が惑わされないということです。
閑は暇があるという意味ではなく、「心が閑かである」こと、だからこそテキパキと仕事の処理ができ漏れが無く、一層仕事が「繁盛」するといってもいいでしょう。
このようになるのは何故かといいますと、やはり「予定」です。一日、一週間、一ヶ月の時間配分予定を確かにするからです。
ただ予定を立てたとしても実行しなければ予定を立てたとはいいません。行動がないのは「妄想」です。
予定を立てるということは必ず成果、結果を出すためであります。
予定を立てればこそ「準備も学びも修練もする」のです。ただ予定を立てても何の準備も修練も無く進めたところで結果など得られるはずもないのです。
「必ず」という信念を持ちますと何が生まれるかといいますと、「確信」です。いわゆる心の安定、これが「閑」です、心に迷いが無く閑かであることが出来るのです。
ですから外の世界に心が惑わされて忙しくなる、心を亡ぼすなどということが無くなるのです。
確かに予定を立て結果を出すという強い意欲を持ってあれば仕事も事業も忙しくなり一層心に閑かさを保つことが出来、そのような姿を見た人が又仕事を依頼するようになるのです。
忙しくない人に仕事を出すような人はいないのです。忙しくありながらも心を亡ぼさずに確かに学び、修練するような閑かな人に仕事の依頼はあるのです。
明晩は「にんげん学」京都講座、忙しくて学べないというような人は已の心が周囲に惑わされているのです。そして一層自分を磨くことから自身で遠ざけてしまっているのです。会場でお会いいたしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌