放心を求むる

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございました。ずいぶんと涼しくなって出やすくなりましたので嬉しいことです。今朝は雨の音がしています、一雨ずつ涼しさが増してくるのでしょうか。
昨夜学びました孟子の「修養論」、目標を確かにして規範に従って復習しながらお仕事を進めてください。
「放心を求むる」。
学問の大事は「放心を求むる」ことにあります。私たちの心はややもしますと「ころころと飛びはね」て「自分を見失ってしまう」からです。学問は自分の心でありながら「外に離れてしまう心を見失わない」ことにあるのです。
私たちの心には「天の邪鬼の心が住んで」います。自分さえしっかりしていれば大丈夫と高をくくっているのです。そう、自分さえしっかりして入れば大丈夫なのですが、いかんせん、内外に対応してこそ人生の確立はあるわけですので、やはり「心を保つ必要がある」のです。
なぜならば感覚は「心地よい物に引かれる」ようにできているからです。ですから迷わないように道を外れないようにするのが「教えを保つこと」なのです。
そのために「目標を確かにする必要性があります」。そして目標を達成するための「方法・順序を確かにして」歩み、身近な「達成感を心に刻み、充実感を味わう喜びを確かにしてゆらがない己を確立する」ことが大事なのです。
「喜びを知ったら忘れないのが人間」。その喜びを人生の充実感とするか、堕落の喜びとするかは「自分次第」です。
己の心が己を離れないように「道に従いましょう」。人生を放心状態にしないためにも「修己治人」。
己を修めてこそ友ができ、慕われ共に歩む人ができるのです。学問の大事が修養にある理由がここにあるのです。
言葉だけで行動が伴わない人に誰も従う道理はないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌