視野を狭くしない

おはようございます。

10月、今月もよろしくお願いいたします。
今月は神無月とも称しますが、神は常に存在しております。人知を越える力のあることを認識している人と、そうでない人とでは、やはり心の潤い余裕が違ってきます。
こんな言葉もあります「およそ人に仕えると思うべからず、神に仕えると思うべし」。仕事は人欲ではなく、多くの人のためにするものだということです。
「信」という言葉一つとっても同じでしょう。「よろしくお願いいたします」と人様に頭を下げること一つが「自身の人知を越えたところにお願いをしている」からです。
何を得られなくとも、「お願いします」と爽やかに挨拶ができることが素晴らしい人生を築いていくのです。
お願いしますといって、自分の意に添わなかったとき相手を怨むような自分本位の挨拶であってはいけません。しかしこのような思いをしているのではないかと思える人は結構見受けます。
「管(くだ)を以て天を窺(うかが)う」。
この言葉は視野の狭さを笑った言葉です。私たちは価値観がお互いに違うことは百も承知のはずです。しかし人間の情は勝手なもので、自分が口をきいて相手が聞いてくれただけで理解してくれていると思ってしまうのです。
また知識を得てある程度の信用を得、地位も確立しますと、昨日まで聞き入れていた助言でも聞き入れなくなるという愚かな面もあるのが私たちでもあるのです。
先の言葉は、中国の古典の中にある話で、
扁鵲(へんじゃく)という名医がいました。虢(かく)という国に行ったときのことです。つい今し方太子が亡くなったという話を聞いたので、御典医に会ってくわしく様子を聞きました。
そして、これこれの処方をすると、生き返らせることができると教えてやったのです。だが、相手は信用しない。
このとき、扁鵲が言ったのが先の言葉です。
「子の方(処方)をなすや、管を以て天を窺い、郄(げき)を以て文を視るが若(ごと)し」。
意は読むだけでおわかりだと思いますが、管を以て天を窺うは、細い管から世間を視ていること。郄も同じで、狭い隙間から模様を見るということです。
扁鵲は王の頼みで王子を診察し針を打って二十日ばかりで本の身体に蘇生させたというのです。
私たちは学ぶことで柔軟性を養っているのです。学んだことを忘れ教えられたことを忘れ固執し、学ぶことを忘れるような愚を犯さないことです。
私たちの心、魂は本来柔軟で、知ることを、進化を喜びとしているのです。それは何故かと言えば人様のお役に立つことが嬉しいからです。
人を無意識の中に信じるという大いなる情の有るのが私たち。人の意に添うような大きい人知を越える祈りと学びを今月も致しましょう。
今夜は「にんげん学」一宮講座、会場でお会いいたしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌