自分のこととして

おはようございます。

M&Uスクール受講生の皆さん、今年最後の受講ありがとうございました。初日スタートに皆様にお話しさせていただき本年の締めくくりが出来感謝しております。来る年も宜しく受講くださいますよう、よいお年をお迎えください。
冬空は何となくどんよりとして気持ちまで冷え込んでくるようです。しかし時折青空が広がりますとその青さに引き込まれていくような気持ちになり嬉しくもあります。
コントラストがハッキリしているからかもしれません、このように見ていきますと思考、行動もメリハリが大事であるのが分かります。
考えるときはじっくりと、そして行動となれば敏速に、メリハリをつけ一日を過ごす。そのためにもやはり漫然と一日を送ってはならないのでしょう。自分の人生ですからね。
「自分を生きる」。
仕事がないと何もしないという方を見受けます。これは大変人生にとってはもったいない生き方です。自分のための「自分のために学ぶことをしない」からです。
人生は全て「我が事と考える人と」そうでない人の差は時間が経てば立つほど歴然と大きな違いとなります。
どのような違いかと申しますと、社会からの「要請の有無」です。仕事でも、人としても両方の要請の有無です。
仕事はある意味では誰しも同じように出来るのです、がしかし、その仕事を依頼するか、否かは「人間性が重要となる」のです。
人間性で何事の要請も生じることを知らなければ行けません。「頼むならあの人に」と言われるようになるにはやはり仕事が終わってからの時間の過ごし方、仕事と仕事の合間の時間を「どのように過ごすか」が大変重要なポイントとなるのです。
仕事がなければぼぉ〜としているようでは「気づきも何も生まれないのが当然」。何故かと言えば「集中力を失っている」からです。また仕事を「一過性と捉えている」。
主体性のない仕事への従事は心が無く機械と同じです。機械は仕事に又かかれば正しく結果を出しますが、人は受け身で仕事をしていますと、仕事から仕事への間に「自分の感情が働き」、仕事に再び従事したときには、機械的に仕事が出来ず、失敗を招く危険性が多くなり、それよりも何よりも以前と同じ仕事をしていながらも下手になっていく現実が生まれるのです。
いわゆる「仕事をなめている、侮っている」のです。このことは意識が無く、「無意識で行動していますから気づきません」だから恐いのです。
このような人は人柄として雰囲気、風貌となって表れます。故に要請が無くなるのであります。
実際仕事をして、その仕事が「何故現実となったのか」、自分が「この仕事に携われるのは何故か」等々を仕事の合間に考えられるようになれば「仕事の依頼」を多くするようになるのです。
そのためにも「自分を生きること」が大事であります。人生は「不連続の連続」であるということを忘れてはなりません。部分だけで仕事をこなし仕事を成し遂げたと考えるようであってはならないのです。
明日22日午後2時から愛宕寺で「断食・断水、八千枚護摩供」に入ります。24日のお昼まで「護摩を修し」ます。
明日は午後2時から一座、明後日は9時、1時、3時の三座、24日は午前10時から一座の計五座で皆様からいただいた心願が成就するため八千本の添え護摩祈願を奉修致します。
是非お参り下さい、一年の総決算、全ての煩悩を焼き尽くし、その上で新年の喜びの種を蒔く準備を致しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌