努める

おはようございます。

良い天気で暑い日が続いております。暑くなりますと寺では蚊と一緒にいるような状態ですので大変です。般若湯をいただいている私は良い香りがするらしくいっぱいよってきます、まぁ虫に好かれるということはいいことだと考えて楽しんではいます。
昨日から二泊三日で4名の研修生の方がおられます、研修生の皆さんは普段の生活では、蚊などには悩まされたことは少ないでしょうから、気の毒だという思いはしております。まぁこれも修業と考えていただき辛抱して貰っています。
四季折々に自然の厳しさがあり、私の話なんぞより一番の修業、研修になっているかもしれません?。
「努める」。
先日から再三「自分のためになる」ということを書いております。自分のために「努める」こと。自分のために努力するものがありませんと、どうしても主体性に欠けるという人生となってしまいかねないのです。
そうすることで「失点を多くする」ようになってしまいます。人生は誰のものでもなく、自分自身のもの。このことを確かにしておれば、何事にも「努める」こととなるのですが、自分のことで日々努めることがありませんと、どうしても「気が抜ける」ときが出てくるのです。
それも基本的なことでです。基本ということは「心がフラットな状態」を言います、平らな状態。自分の心の上に何事も載せて育み、確立していくのです。
基本とは一日のタイムスケジュールでもあり。会社にお勤めの方は、会社で決められたタイムスケジュールを基本と考えてはいけません。先ず「自分を基本とすることが肝要」。
そうしませんと「自分の時間が取れなくなる」、「イニシアチブをとられてしまう」のです。
全てに於いて「自分のこととして考えるのが基本でなければならない」のです。そうすることで、自分に対しての言い訳も、人に対しての言い訳もしなくなり、自分のためになることとして「努める」ことができるのです。
自分のことに努めますと、自分の実力、現状認識が確かとなり、「為すことが見え」一層努めることが楽しくなってくるのです。
自分をその他大勢で考えておらずとも、自分の努めることがなければ、己を高め磨く必要性もありませんし、会社は自分がやらずとも誰かがやってくれておりますから、「知らず知らず気が抜けて失点を多くしてしまう」こととなり、それが習い性となり人間性と化してしまい、信頼を得られなくなってしまうこととなるのです。
何事も因果応報ですから自分のために努めることが大事であるのです。私たちは日々繰り返しの中で生活しております。誰しも習慣で生きているのです。この事実を確かにしなければ一日一日進化する人生を努めるのか、退化する人生と為していくのかであるのです、このことをお忘れなきよう。
努めるものを持っている人間の一つの魅力は、顔貌が違ってくる、また迫力、説得力が人間性となってくるということです。
今夜は「にんげん学」大阪講座、ご自身のため努めてください、会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌