小事をなせない・・

おはようございます。

いつも書いておりますが、大事は皆小事より起こるのです。ですから何気ない小事を大切にしなければなりません。小から大となることはどのようなことでも真理です。
皆さん、真理とは「情を持っていません」、真理を思い大切に小事を行わなければ大と為すことは叶わないのです。真理はどこまで行っても真理だからです。法則に沿わない限り大と為すことはできないのですから。
いくら思いを強く、感情を高ぶらせてもこつこつとした積み重ねが無ければむりなのです。
「小事を為せない者は大事も為せない」。
小事の一歩は先ず自分をコントロールすることにあります。事を成せない大きな理由の一つに「自分のことは直ぐ出来ると高をくくっている」ことにあります。
先日も言葉の大事を書きましたが、この会話が出来ると言うことも用心の一つなのです。言葉ではどんな大きな事でも一瞬に出来るからです。しかし現実はそう簡単ではありません。ですから言葉は慎重でなければならないのです。
一日の仕事は何をすべきかなどということは誰しも分かっていることですが、しかし数年、いや一年でも人との差はついてくるものです。なぜでしょう、それが自分をコントロールしているか否かでついてくるのです。
一方は尊敬の対象となり、信頼もされ、一方はそれがならない、それは小さな事と思われる「自身の心の在りよう」が問題なのです。
小事を大切にしない者には大事は出来ないのです。大事になればなるほど多くのものをしなければならないからです。
小事と考えている自分をコントロール出来ないようでは、他の人のことなど出来るはずもないのです。仕事、仕えるとは当に「人様のことであるから」です。
坐禅を私たちは行います。これは自分をコントロールすることです。何をコントロールするのでしょう。「身体と、呼吸と、心です」。
どのような情況、状態であったとしても泰然と「身体を整え」、「呼吸を乱さず」、「心を見失わない」ことが禅、「随処に主となす」ことであるのです。ですからどのようなことにおいても「主体性を以て為す」ことができるようになるのです。
目の前に与えられた仕事は「天命、天が命じたこと、大きな運命である」ことを自覚し、精一杯生きることにあるのです。だからこそ「運を手に入れられる」のです。
先人の成功者は成功を語るとき一様に「運が良かった」と答えています。なぜでしょうか、それは目の前の仕事を「天命ととらえ」どんなことでも「大事に通じる」と考え疎かにしなかったからです。
山の頂上を目指すのには沢山の道が在ります。しかし自分が登ることは間違いがないのです。時に真理に目覚め、真理に生きることでなければ頂上には行き着くことは叶わないのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座です。自身を整える学をご一緒しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌