雑念はない

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さん、お暑い中をありがとうございました。自分だけの時間を作る大切なことです。心はとても曖昧ですが、しかし何かあると突然こだわりを持ってしまうのも「心」、心は永遠の学びです。
自分の心でありながら思い通りにならないからこそ人生を楽しく生きられるのでありましょう。
何かやっていながらでもあれこれと考えてしまう自分、雑念、この雑念が私は好きでもあります。雑念は自分がこれまで経験体験してきたものが長い間蓄積、醸成され、ある日突然生まれ出る「なくてはならない大切なもの」と思っています。
「雑念はない」。
雑念を私は「意識の試行錯誤」と考えて遊んでいます。ああでもない、こうでもないと、妄想かも知れませんが、しかしこれが結構たのしいのです。
自分で考えることですから不必要なことはなく、自分にとって大切なものだと思っているのです。だから雑念は「雑念でない」のです。雑念だと考えてそこで格闘してしまうことが良くありません。自分の思いですから、やはり自分なのです。
それを不必要なものとして追い出すようなことをしますと、又その思いに追いかけられ、何でと、悩むようになってしまうのです。
修業時代、師に雑念妄想がわき出したら、真っ正面からそのことを考えよ、と言われました。逃げるな、ということです。
真っ正面からわき出した思いを考えるようになりましたら帰結することはやはり一番大切なことへの「ヒントとなった」のです。それから一層心の中からわき出したものを大切に考えるようになったのです。
これを、と思って考えようとする発想アイデアより、雑念と思われる中からの発想アイデアのほうが良いこともわかったのです。
それから雑念というものはないのだという結論に達しました。
よく集中力がない、集中しようとすればするほど雑念が湧く等々の相談を受けます。自分の中からわき出たものは何一つ不必要で役に立たない雑念などというものはないのです。わき出てきたものの中にこそ素晴らしい発想とアイデアがあるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌