いつ

おはようございます。

皆さんは毎日楽しく幸せに暮らしておられますか?いかがでしょう。きっと楽しく過ごしておられることと思います。
何を言ってるんだ、こんなに暑い中でも仕事をしなければならないのに、何が楽しくて幸せなんだ、と不平を言わないようにしましょう。
不平を言う人と、楽しい、お陰様だと何も得ておらずとも感謝できる人とは、結果どちらが喜びを多くするかといいますと、やはり後者です。人生は「過程の連続、プロセスの連続を生きているから」です。
「いつになったらとは考えない」。
人生生きているだけで幸せなのです。「こう考えることが幸せな日々を送る秘訣です」。
何かを得なければ幸せでない、楽しくないと思い考えてしまうから「喜びがなくなる」のです。「いつになったら、いつなんだ」と現在を不孝に考えているから「幸せの女神が逃げていく」のです。
論語、衞霊公第十五、三十八条に「子曰く、教え有りて類無し。」とあり、意は「孔子言う、人はいかなる種類の人でも、教育の善悪によって支配されないものはない。」
類は種類のことであり、例えば人の貴賤、老少、或いは気質、習俗の相違等々はすべて類であります。貴い人も賤しい人も、老人でも年少者でも、すべて教育の善悪によって支配され、これはこの種類の人であるから絶対に移らぬという差別はないという意味です。
これは教育、学びの偉大さを説いたもので、学びによって人生は大きく変わるということです。
幸せになりたかったら、「今を幸せだと喜び感謝する」ことです。このことを学び知ったならば、「まねぶ」こと、教えを育てることが教育、教えられることが教育ではありません。
私は師に目の前のことに感謝して楽しく行動せよ、それが「幸せなことだ」と教えられました。なるほどと思ってその教えに従ったのです。そうしますと不思議ですね、「行動、動きの中にやはり喜びが在る」のです。
何か良いこと楽しいことは無いかなぁ〜と悶々として過ごせば日一日と暗く思い悩むしか無くなるのです。言ってみれば「流れのない水は腐る」という道理と同じです。
物喜びをする人、人喜びをする人、どのような出会いにでも喜ぶ人に「福の神」は来たるのです。
いつも感謝することです。そのようなかわいい人を世間は放ってはおかないのです。明日は第一日曜日ですので、心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。午前10時からです、ご一緒に楽しく感謝のお祈りを捧げましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌