わかったと思わない

おはようございます。

昨日は台風のせいでしょうか薄曇りの天気で久しぶりの雨が宇治にも降りました、それで少しは涼しくなるのかなと思いましたが、なかなかのようです。
「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございました。ようやく朝夕涼風を感じられるようになりました。
暑さ寒さも彼岸までなどとも申します。まだまだ暑さは続きそうです、来月も元気にお会いいたしましょう。
「わかったと思わない」。
自分でよくわかっていても、「まだじゅうぶんにはわかっていない」と考えているのが、最もよいことであります。
わかっていないくせに、「よくわかっていると考えている」のが、「人としての短所」でもあります。
そもそも自分の短所を短所として「自覚する」からこそ、「短所もなくなる」のです。
立派な人に短所がないのは、その「短所を短所として自覚している」からであって、だからこそ短所がなくなるのです。
自覚は偉大です。人を知ること以上に己を知ることは大切であります。
わかったと思うことは、そう思うことによって「すでに一つの落とし穴になる」のです。「わかったと思った途端世界が見えなくなってしまう」と言うことです。それではよくありません。
自分を疑うというのではなく、「懐疑して吟味していく必要がある」のです。この世は常に動いておりますから、なおさらのことです。
固定観念となっては「もはや枯れ凋む道しか残されていない」のです。
わかったという観念が「大きくなればなるほど障害を作り、多くの見えなくなる物を自ら作り出している」こととなるのです。
わかった、知ったということであれば、それ以外の知らないわからない世界をいつまでも残し、わかっている自分が何故「悶々として悩むのかさえわからなくなり」、いずれは病むしかない人生と化してしまうのです。
知ったかぶりをせず知を極めようとする永遠の学びが大切なのです。
明後日は「にんげん学」東京講座です。東京地区の皆さん会場でお会いいたしましょう、楽しみにしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌