負荷をかける

おはようございます。

水子供養祭」お参りの皆さんありがとうございました。小さくも大きな命に感謝しておまいりいただき感謝いたします。
小さなこととして忘れてしまいますと、それが積もり積もって大きな不孝として舞い戻ってくるのです。又おまいりください。
今朝星空の中午前2時誠澄は懺悔練行に入り歩き始めました。心身の錬磨、また新たな悟りを得ることでしょう。
「負荷をかける」。
修練する、勉学に努めるということは自らに「負荷をかける」ことです。負荷といってもマイナスなことをするのではありません。
大きくジャンプするために「積極的にかがむ、退く」ということです。何かを磨くということは「すり減らす」ことでもあるのです。「減らすことで切れる」。
足すことだけを考えていても、入る余地がなければ入る道理はなく、逆に減らすことで入るというのが道理であるのです。
懺悔練行は眼・耳・鼻・舌・身・意の六感をひたすら一点に集中することで、六つの感覚器官が何に心を奪われるのかがハッキリと見えてくるのです。故に確かに進むべき事、確かに退くべき事等々が無意識に行動となるのです。
だからこそ法力が強くなり、信者の皆さんに確かなアドバイスを送ることが出来、祈りの方法も適切に出来るようになるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌