執着しないため

おはようございます。

平成22年最後の週です。今年もあと5日、先日の土曜に仕事納めの方もあったのではないでしょうか。もちろん私たちのように年中無休という方もおありでしょう。しかし一日、一週、一ヶ月、一年の締めはやはりしなければ行けません。
「締めを確かに」しませんと、「始めることもできない」からです。「区切ればこそ新たなチャレンジもできる」。「自分でケジメを付けず」人から言われたのでは「人の言葉に引っかかり新しいことができません」、そしてその言葉に「ひっかかり執着し停滞する」。
予め決めその通りに事が成るということはなかなかに難しいこと。しかし予め決めないことには前には進めず、極端な言い方ですが、成功しても失敗しても「続いていくのが人生」。だから区切り、ケジメは付けなければ反省もならず、新たな出発もないのです。
「執着しないため」。
「執着、物事にこだわっってしまうときの心理」はどのようなときでしょう。対人関係や仕事の中で失敗したと考えたり、負けたと考えたり又小さい世界で物事を考えているとき、心が「そのことから離れることができない状態の時」ではないでしょうか。
執着心やこだわりの心には「未来が見えておりません」。ただただ「自分の心の安心だけ」。人の幸せや、周囲の人の幸せなどはもってのほかで、自分のことだけ。だからこそ執着やこだわりが生まれ、そして「停滞」するのです。
予め決めたことを進めたとしても、「上手く行ったり行かなかったりする」のです。上手く行ったことが永遠ではなく、行かなくてもそれが永遠ではなく、どちらにしても「仕切り直し」です。
物事の道理を知って「どうあるべきかの心を確かに」すれば誤った執着心もこだわりも生まれません。もちろん悔しさや喜びはあります。しかしその悔しさも喜びも道理に従って得たものだと「心を学ぶ者は知っている」のです。だから執着やこだわりもせず停滞もしないのです。
一年の締めくくり、区切り、ケジメを確かにしましょう。ケジメを確かに行えば「執着心を起こさず停滞はしません」。後ろ向きの執着心からは成長はないのです。
今夜は「にんげん学」小倉最終講座。楽しく学び楽しく懇親会をしましょう。終わるから又始める楽しみがあります。上手く行った行かないというようなことで人生の歩みを停めたくないですね、一年の締め美味しい般若湯をいただきましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌