責任が自己を律する

おはようございます。

先日名古屋往復のため新幹線に乗ったのですが、やはり自然には勝てず、降雪のため米原から関ヶ原を越えるまでは徐行運転、名古屋までは14分遅れ、帰りの京都までは4分遅れと、考えてみますと何事もパーフェクトなどはないということでしょう。
パーフェクトを導き出すとするならやはり、徐行運転で大事を引き起こさないということです。
人様のため、お客様のためという責任感を確かにしていなければこれとても難しい対応なのかもしれません。
今日は大寒ですので又寒くなるのでしょうか。風邪が流行っていますのでお気を付け下さい。
「責任が自己を律する」。
この責任感というものがなかなかに難しいものです。人として責任を第三者から明らかにされていないときに責任感を持つ、感じることが、真実責任在る立場に立ったとき責任感を持って何事にも対処できるようになります。
責任在る立場となったから責任を全うできるかといえば?だからです。やはり人間としての自覚が大事です。
「責任がない立場の者は、高慢な態度で人を軽んじ、時勢に対しては必ず激しい不満を募らせる。これは大いに問題である」(呻吟語(しんぎんご)、呻吟とは何か困ったときに思わず出てしまう、うめき声のこと)。
呂新吾(りょしんご)が著したという「呻吟語」にこのように書いてあります。意味は分かると思いますが、「責任のない立場なら何でも好きなことが言えるし、責任を感じていなければなおさらのこと。責任があればこそ、言動に慎重になる」、ということです。
責任感が如何に大切かということです。責任を自覚すればこそ「己を律し学び、研鑽を積む」のです。
責任感を強くすれば、何事か問題が生じたとき、その時は対処療法で一旦回避したとしても、その「根本解決のため」に又「学び直す」のです。だからこそ責任感を強くする者の未来は常に切り開かれていくのです。
明日は「にんげん学」東京初講座。人間として責任感の強い皆様是非ご出席下さい。明日は30分早い6時半開講です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌