一日を大切に

おはようございます。

今日は「にんげん学」東京初講座のために初上京、はてさて富士のお山は拝むことができるでしょうか楽しみです。あっという間に一月も二十日を過ぎてしまいました。
どのように一日を過ごしても一日。少しずつ少しずつ夢に向かって進んで行かねばなりません。
「一日をムダにしていないか」。
論語、学而第一、四条に「曾子曰く、吾、日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。」
意は「曾子(そうし)言う、自分は毎日、自分が行った事について何回となく反省する。その反省の事項は、第一に、人の相談相手となって考え計ってやる際に誠心を尽くさなかったのではないか、第二に、朋友と交わっておる際に信義を尽くさなかったのではないか、第三に、まだ十分の実習もなくて、我が物となり切っておらないものを、口先だけで人に伝え教えはしなかったかという、三つの点についてである。」。
曾子という人は「魯鈍(ろどん)」であったと言われています。しかし日々この三省の工夫を重ねて素晴らしい人格となし、孔子の道統を継いだと言われています。
私たちはなかなか自分を魯鈍だと自覚することは難しいものです。しかし何物かを継続できている人は魯鈍だという自覚があってこそできるのではないでしょうか。自惚れはしても自覚とは難しいものです。しかし何事の進化を果たしている人を見ますと必要なことであることが十分に知り得ます。
相談相手になってはあげても、うまく進まなければ相手云々を言うのが私たち、口では誠意を言いながら、行動が反していることの多い自分自身が情けなくなります。信は自分が言った言葉であり、言葉に偽りの無いことであります、あまりにも簡単に言葉を詐る自分がこれまた情けないことです。
また十分に我が物としていないにも拘わらず、偉そうに言うおぞましい私がいることも、三省とは「三回反省すればいいという意味ではなく、何度もという意味」であり、幾度となく反省することです。
何事も一過性とすることなく日々心がければ一日をムダに過ごす事がなくなるのです。習慣は第二の天性ともいいます。今夜は「にんげん学」東京初講座、第二の天性を開花させるために、会場でお待ちいたしております。新春の開場は6時、開講は6時半です、30分早くなっていますのでお間違いのないように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌