いつかは

おはようございます。

物事を美事に完成させるとするならば「飢えと渇き」が必要ではないかと思っています。ただ単に努力をしたくらいでは物事の完成はならないのです。努力精進するよりも肝心要なものが「飢えと渇き」です。
表現を変えますと「いつかは」という「純粋な永遠の思い、気持ち」です。「いつになったら」などという「飢えと渇きのたりない心では」到底「精進などと呼べず」継続などできないのです。「いつかは、いつかは」という憧れに似たような気持ちが「思いの途中で花開かせ、実をつける」のです。
そしてその花や実が絶対でなく、更に進化を続けていくのです。進化を続けることを純粋に信じてもいるのです。
「いつかは」。
若い頃は「誰にも知られず、自分を取り巻く条件、情況も悪く、信用も何もない、ないないづくし、あるのは志」です。ときに将来、未来にに対して真摯な「飢えと渇き」があればこそ「周囲の全てを栄養とし、吸収する」こととなるのです。
「これがないと、あれがないと、金がないと」などと言った「戯言」は言わないのです。燃えるような情熱、飢えと渇きが「全てを栄養とする」のです。戯言を超越した純粋無垢な飢えと渇きが物事の達成を美事に為す力なのです。
「勉強が出来たら、お金があったら、条件がそろっていたなら、人が認めてくれたら」などという戯言を言っているようでは何事の達成も覚束ず、それよりも何よりも「人としての魅力、味が出ない」のです。それはとりもなおさず「人を引きつける魅力のパワーとならない」のです。
周囲の全てを栄養とし、吸収するということは「出会った人を大切にする、全てをチャンスにする」ということでもあり、そのような人間を人は放ってはおかなくなるのです。
大震災で多くの命が奪われ、原子力発電所では自分の命を省みず働いている人が在ることを見て、条件云々などと言っているようではまだまだだという思いがするのです。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌