中途半端の不幸

おはようございます。

今夜は「にんげん学」小倉講座、学びは元気の源。豊かに元気になる確かな学びを致しましょう。会場でお待ち致しております。
「中途半端の不幸」。
道に達した人は、胸中にあれこれ思いわずらうことはありません、一筋の道を歩むからです。また謙虚に愚かだと自覚している人も同じです。双方とも知識などに「とらわれておらず」、「なんのこだわりもない」のです。知ったことは実践のため、修養のためであることを確かにしているからです。
論語、里仁第四第十七条に「子曰く、賢(けん)を見(み)ては斉(ひと)しからんとことを思(おも)え。不賢(ふけん)を見(み)ては、内(うち)に自(みずか)ら省(かえり)みる也(なり)。」と孔子も言っています。孔子孔子たる所以です。歩むことにブレがない。
このような人とは話も出来、仕事も出来、一緒に協力して「事業を興すこともできる」のです。
中途半端な知識を身につけている人は一通りの思慮や知識を備えていると考えていますので、それを誇りに思い、鼻にかけますから、周囲の人を愚かに見てしまう傾向があります。「智者のふりをしている」と言っても良いでしょう。これが「人間的進歩を最も妨げる」のです。
このような傾向がありますので他の人の考えを素直に信じようとしなかったり、認めようとせず、疑い深いという癖があります。このような人とは一緒に仕事をしようという人は出ては来ないのです。
学びは己を修養するものであると自覚すれば、人を云々することではないことも知るのです。ですから人欲に惑わされることもなく人格も豊かになり、同志が増え、協力者にも恵まれ自然繁栄の道を無理なく歩むことと成るのです。
中途半端な知識人は何事も己の力だと人欲に犯されていますから、結局は「己を誇り人を否定し」、故に「協力者も現れず、苦労の道を歩む」ことと成るのです。己を高め修練することに終わりはないのです。中途半端な人間は少しの知識を見て完成だと錯覚を起こし、人の素晴らしさも、才能も認めず結果不幸を自ら招くのです。
学びは元気の源、多くの人に生かされます。水源から多くの水路が引かれ役立つようにです。今夜もご一緒に「にんげん学」を学びましょう。汲んでも尽きない学びを、素晴らしい人柄と成って自然にあふれ出すようにです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌
 私たちは東日本大震災の復興を応援致します。